脱出
【後編】義両親達「座る椅子が足りないから、部屋で食べてくれる?」なんで私が作った天ぷらを私が食べれず、部屋で独りでパン食べてるんだろう。夫に相談したら「〇〇だから」→結果
36:プリンはのみものです。2012/05/02(水) 12:04:12.86 0
「食事作りが苦痛で仕方ない奥様」スレから誘導させてもらいました。
色々あったので報告したいです。
↑のスレで心配してくださったかたが沢山いてくれたので(´;ω;`)
旦那実家で同居。
私を入れて八人家族。
田舎なので毎日毎食六品オカズをつくらないと
文句を言われてました。
旦那妹もいるのですが、手伝いも何もしてくれなく
私もパートですが、仕事しながら全ての家事をしていました。
料理の事で舅から嫌みを言われて、旦那に相談しても
嫌みを言われるのは頑張っていないから。
言われたくなかったらもっと頑張ればいい。と言われ
目の前で作ったオカズをゴミ箱に捨てられたり
食卓の椅子が足りないから、貴方は自分の部屋で食べなさいと言われ
一人で部屋でパンを食べていたりしました。
家族水入らずで食事したいからとも言われ
自分で作ったご飯を食べる事なくいました。
続きます。
色々あったので報告したいです。
↑のスレで心配してくださったかたが沢山いてくれたので(´;ω;`)
旦那実家で同居。
私を入れて八人家族。
田舎なので毎日毎食六品オカズをつくらないと
文句を言われてました。
旦那妹もいるのですが、手伝いも何もしてくれなく
私もパートですが、仕事しながら全ての家事をしていました。
料理の事で舅から嫌みを言われて、旦那に相談しても
嫌みを言われるのは頑張っていないから。
言われたくなかったらもっと頑張ればいい。と言われ
目の前で作ったオカズをゴミ箱に捨てられたり
食卓の椅子が足りないから、貴方は自分の部屋で食べなさいと言われ
一人で部屋でパンを食べていたりしました。
家族水入らずで食事したいからとも言われ
自分で作ったご飯を食べる事なくいました。
続きます。
毒家族の見下し要員だった私は、逃れるために遠方に就職。残業ばかりのくせにお金も貯まらないアラフォー独身…だと思ってる実家の母「孫はいつかしら~」私「いつだろうね~」→実は
249: プリンはのみものです。 2015/03/19(木)13:48:01 ID:8uy
実家が毒実家(長男教で女嫌いな母と弟、空気父)で、一家の見下し要員から逃れるため、着々と準備して遠方を選んで就職した。
連絡を完全に断ち切ると、私を見下したくてウズウズしてる母と弟を刺激するので、母親と時々メールのやり取りだけしてる。
実家家族の知ってる私は、残業ばかりで休日もない帰省できるお金も貯まらないブラック会社で働きながら、貧しいアパートに住んで、アラフォーの今になっても恋人もない独身女。
まだ独身で転職歴7回の弟も「姉貴よりはマシwwみじめww」と言ってるらしい。
旦那は私が実家とやり取りしてるのを知らない。
私の説明する実家の話を聞いて、泣いて同情してくれて、「僕は君と結婚するんだ。そんなこと気にしないよ」
と言ってくれた。旦那の親も同じ反応だった。
外国人だから、こんな風に理解してくれるのかなーとも思った。
向こうの両親は私家族抜きで、旦那の家でガーデンパーティ式の結婚式を盛大にやってくれた。
連絡を完全に断ち切ると、私を見下したくてウズウズしてる母と弟を刺激するので、母親と時々メールのやり取りだけしてる。
実家家族の知ってる私は、残業ばかりで休日もない帰省できるお金も貯まらないブラック会社で働きながら、貧しいアパートに住んで、アラフォーの今になっても恋人もない独身女。
まだ独身で転職歴7回の弟も「姉貴よりはマシwwみじめww」と言ってるらしい。
旦那は私が実家とやり取りしてるのを知らない。
私の説明する実家の話を聞いて、泣いて同情してくれて、「僕は君と結婚するんだ。そんなこと気にしないよ」
と言ってくれた。旦那の親も同じ反応だった。
外国人だから、こんな風に理解してくれるのかなーとも思った。
向こうの両親は私家族抜きで、旦那の家でガーデンパーティ式の結婚式を盛大にやってくれた。
独身時代に研究していたものが商品化されて大金が手に入った私。「いつでも出て行け!」と投げつけられてた離婚届をさくっと出してバリ島で豪遊!→夫とウトメにメールしたら…
436:プリンはのみものです。2009/07/05(日) 02:09:17
去年、私をいびりまくった
(イビリ内容は100%テンプレ)義実家と
やはりテンプレなヘタレ対応しかしなかったエネ夫にしたDQN行為。
去年の今日が、ちょうどその作戦決行日だったので、
思い出に投下します。
(イビリ内容は100%テンプレ)義実家と
やはりテンプレなヘタレ対応しかしなかったエネ夫にしたDQN行為。
去年の今日が、ちょうどその作戦決行日だったので、
思い出に投下します。
コトの始めに、去年の五月末
私が独身時代に所属していた会社の開発チームから連絡がありました。
当時開発(研究)していたものが、大々的に商品化されるという知らせです。
かなりディープな物だったので、当時は
それが日の目を見るとは思っていなかったけれど
ついにその日が来た、と。
そして、その権利の売却などのモロモロを経て
当時のスタッフの許可が必要になり、連絡が来ました。
煩わしい作業は全部やってくれるので、私はハンコをつくだけ。
後日、通帳を見ててビックリ。超大金。
「女は働く必要なし、家事をして夫の世話に明け暮れ、親に仕えろ」
「いつでも出て行け、金は一銭もやらない」とヘラヘラ笑われて
それでも我慢してしまったバカな私。
バカにされて投げつけられた離婚届を保管しておいてよかったです。
サクッと提出してバリ島に逃亡。
観光ビザが切れるギリギリまでバリ島に滞在して
プライベートプール付きのラグジュアリーヴィラに滞在。
あ、私の実の両親も一緒です。
ネット使えるホテルだからパソコン持っていったし
携帯も通じるから、義実家からの鬼電話と鬼メールを堪能しました。
バリの麗しい風景を写メしては、元義実家と元夫にメール爆撃。
「どこにいるんだ!!」と怒っていた夫には
バリ島にあるバリサファリとかいうテーマパークから
ゾウとホワイトタイガーとライオンの写メを送ってやりました。
義兄が転勤で地元を離れた途端、ウトメに頼りにされてはっちゃけ、マザコンと化した夫→1年半で私は脱出して実家へ。夫からの電話やメールには全て「マザコン氏ね」で対応→その結果
725:プリンはのみものです。2009/05/09(土) 18:45:23
高校、地元大学とつきあって結婚した次男旦那。
両親が毒親らしく、ずっと母親の愚痴ばかり言って「俺は姑問題で苦労させたりしないから」
と言ってたのに、長男が転勤で地元を離れた途端マザコンを大はっちゃけた。
毒親が毒ウトメにならないはずもなく、こっちの生活はめちゃくちゃ。
なのにはっちゃけ旦那、ウトメに生まれて初めて頼りにされた&サンドバッグを入手した
喜びに浸って、人格変わったんじゃない?ってくらいの人になった。
1年半でエネmeをやめ、脱出。
電話もメールもすべて「マザコン氏ね」の一言しか応答しなかった。
さいわい友人は共通の友人ばかりだったので協力してもらい、
行方を捜す、仲介を頼む等の旦那の依頼にはすべて「マザコン氏ね」と笑顔で返してもらった。
実両親にはさすがにそれは頼めなかったが、実家に旦那凸してきたとき、
旦那を阻止してる両親の背後で、私と妹で「マ・ザ・コ・ン・し・ね」と口パクで言いながら
笑顔で白目剥いてたら泣き出した。
あの頃にハイテンション、私どうかしてた。いやみんなどうかしてた。
両親が毒親らしく、ずっと母親の愚痴ばかり言って「俺は姑問題で苦労させたりしないから」
と言ってたのに、長男が転勤で地元を離れた途端マザコンを大はっちゃけた。
毒親が毒ウトメにならないはずもなく、こっちの生活はめちゃくちゃ。
なのにはっちゃけ旦那、ウトメに生まれて初めて頼りにされた&サンドバッグを入手した
喜びに浸って、人格変わったんじゃない?ってくらいの人になった。
1年半でエネmeをやめ、脱出。
電話もメールもすべて「マザコン氏ね」の一言しか応答しなかった。
さいわい友人は共通の友人ばかりだったので協力してもらい、
行方を捜す、仲介を頼む等の旦那の依頼にはすべて「マザコン氏ね」と笑顔で返してもらった。
実両親にはさすがにそれは頼めなかったが、実家に旦那凸してきたとき、
旦那を阻止してる両親の背後で、私と妹で「マ・ザ・コ・ン・し・ね」と口パクで言いながら
笑顔で白目剥いてたら泣き出した。
あの頃にハイテンション、私どうかしてた。いやみんなどうかしてた。
【後編】真正メンヘラと付き合って人生強制終了しそう。彼女「タヒにたい」「ずっと一緒」「離れない」→鎖につながれて朝昼晩毎日の行為を要求…俺(に、逃げなきゃ)→衝撃の結末へ
前編はコチラ
652:12011/03/04(金) 04:32:34.60 ID:T7ftQkiN0
ビビったマジでビビったマジで見てるんじゃねぇかってくらいジャストタイムでメール来た今4時30分だろどうなってんだよ怖いよ
【前編】真正メンヘラと付き合って人生強制終了しそう。彼女「タヒにたい」「ずっと一緒」「離れない」→鎖につながれて朝昼晩毎日の行為を要求…俺(に、逃げなきゃ)→衝撃の結末へ
二度と戻らんと宣言して実家を出た俺に、父「母さん認知症始まってなー介護大変だから戻って来てくれんか?」ってバカなの?スレ「冷たくね?」俺「そもそも実家出た理由が…」←納得
【後編】農家の義実家で同居。朝から晩まで働かされ、食事はウトメ達の残り物。どうしても実家に帰りたくなって「お願いします」と頭を下げたら「あ?好きにしろ」私「!!」→結果
前編はコチラ
夕日に照らされて黄金に輝くバスに乗り、クソのつくド田舎から逃げた嫁です。
ようやく落ち着いたなと思えるようになったので、その後のことなど報告させて下さい。
実家に戻り、クソウトに暴言を吐いてからしばらくは表面上おだやかでした。
が、義実家とその周辺では「嫁が跡取りをさらって逃げた」と大騒ぎだった様子。
(といってもウトメがあちこちにないことないこと触れ回り、暇なご近所がのっかっただけ)
夫から「嫁子も息子たちも元気か」「すまない」と電話があったのは一ヶ月後でした。
そして季節が変わる頃、実家に分厚い封書が届き、開封したところ中から便箋10枚…
「嫁子は人さらい、跡取り(特に長男)を連れ去った罪は重い、どこの馬の骨かわからない女を
今までどれだけ尽くし面倒をみてきたか全くわかっていない、それを許して囲う両親もバカ野郎だ、
これを読んだら即刻長男を○○に戻し、嫁子には謝罪と今後の介護と家業の全てを命ずる、
○○(集落)の人間には全て暴露してあるから日本中に逃げる場所はないと思え」
といった旨の内容がカタカナと方言混じりのクソウトの字で書かれていました。
おまけに、もともと私にはないはずの「ウト名義の土地田畑家屋全てを相続する権利(?)」
を放棄する内容の誓約書まで同封されていました。「甲」が「申」でした。
【前編】農家の義実家で同居。朝から晩まで働かされ、食事はウトメ達の残り物。どうしても実家に帰りたくなって「お願いします」と頭を下げたら「あ?好きにしろ」私「!!」→結果
365: プリンはのみものです。 2009/09/17(木) 16:39:06 0
電車どころかバスも一日一本しかない超ド田舎のクソ膿家に空気夫とウトメと同居して六年。
朝は四時半にトメの掃除機(私が寝ている部屋の障子のへりにゴンゴン音を立てて起こす)で起床。
身支度などする間もなく田畑のチェックと野菜の収穫、何をもいできても文句を言われるのは二年目に慣れた。
形が悪く虫だらけの野菜と格闘して朝食の準備、ウトと二度寝のトメと夫を起こす。
食べている間にチェックした箇所の報告をして(当たり前のように返事はない)息子らを起こしてお世話。
ウトメと夫が出ていってから息子らと朝食。二層式の古い洗濯機を回しながらセカセカと動く。
息子ひとりにつき卵一個と決められ、私はウトメたちが残したものを舐めるようにこそぎとってご飯と一緒に流し込む。
みそ汁の残り、トメ製漬け物の切れ端(皿に盛ると文句を言われるので端っこはよけてある)、おすそわけの梅干しなど。
庭とは呼べない敷地で息子らが遊んでいる間に掃除、洗濯、朝食の後かたづけ、昼の弁当の用意。
塩むすび、うめぼし、たまごやき、お中元お歳暮の時期は焼いたハムなどをつけるが当然わたしには当たらない。
ハムやかたまり肉は誰かの分に端っこが入っていないと食べたのがバレて文句を言われるから、欲しくもない。
田畑まではウトメが軽トラ、夫が車に乗っていくので私は歩いて三人分のお茶を弁当を持ち、2~3キロの距離を歩く。
妊娠中も、赤ん坊の頃でも、熱があっても腰が痛くても、おんぶひもと抱っこの時期でも。
どこにいるのか知らされないし私は携帯を持っていないので、近いところから探して回る。
軽トラの運転席、助手席、車の運転席にそれぞれ弁当とお茶を置いて、声をかけて(無視されて)家へ戻る。
息子らは足腰が強い子どもに育っていると思うし、最近は楽しんで遊びながらでも歩いてくれるので楽になってきた。
朝は四時半にトメの掃除機(私が寝ている部屋の障子のへりにゴンゴン音を立てて起こす)で起床。
身支度などする間もなく田畑のチェックと野菜の収穫、何をもいできても文句を言われるのは二年目に慣れた。
形が悪く虫だらけの野菜と格闘して朝食の準備、ウトと二度寝のトメと夫を起こす。
食べている間にチェックした箇所の報告をして(当たり前のように返事はない)息子らを起こしてお世話。
ウトメと夫が出ていってから息子らと朝食。二層式の古い洗濯機を回しながらセカセカと動く。
息子ひとりにつき卵一個と決められ、私はウトメたちが残したものを舐めるようにこそぎとってご飯と一緒に流し込む。
みそ汁の残り、トメ製漬け物の切れ端(皿に盛ると文句を言われるので端っこはよけてある)、おすそわけの梅干しなど。
庭とは呼べない敷地で息子らが遊んでいる間に掃除、洗濯、朝食の後かたづけ、昼の弁当の用意。
塩むすび、うめぼし、たまごやき、お中元お歳暮の時期は焼いたハムなどをつけるが当然わたしには当たらない。
ハムやかたまり肉は誰かの分に端っこが入っていないと食べたのがバレて文句を言われるから、欲しくもない。
田畑まではウトメが軽トラ、夫が車に乗っていくので私は歩いて三人分のお茶を弁当を持ち、2~3キロの距離を歩く。
妊娠中も、赤ん坊の頃でも、熱があっても腰が痛くても、おんぶひもと抱っこの時期でも。
どこにいるのか知らされないし私は携帯を持っていないので、近いところから探して回る。
軽トラの運転席、助手席、車の運転席にそれぞれ弁当とお茶を置いて、声をかけて(無視されて)家へ戻る。
息子らは足腰が強い子どもに育っていると思うし、最近は楽しんで遊びながらでも歩いてくれるので楽になってきた。
