祖父
【後編】嫁が無神経すぎて無理になってきた。俺を可愛がってくれた祖父が亡くなって結構ショック受けてた俺に、嫁「お義父さんお義母さんの負担減ったんだよ?元気出さなきゃ」→結果
前編はコチラ
989:太郎(前スレ885)2008/04/20(日) 16:06:36
コテつけてみました。
・ICレコーダーを買う。→録音
・親に相談して見る。
・弁護士を見つけて相談する。
・心身に変化があったら、心療内科受診して診断書をもらう。
やってみます。
子供は作りません。最近は手も出してないし。
・ICレコーダーを買う。→録音
・親に相談して見る。
・弁護士を見つけて相談する。
・心身に変化があったら、心療内科受診して診断書をもらう。
やってみます。
子供は作りません。最近は手も出してないし。
【前編】嫁が無神経すぎて無理になってきた。俺を可愛がってくれた祖父が亡くなって結構ショック受けてた俺に、嫁「お義父さんお義母さんの負担減ったんだよ?元気出さなきゃ」→結果
母の実家での話。ドラム缶いっぱいに買ったはずの灯油の減りが早く、盗まれてることが発覚。怒った祖父がドラム缶を無駄にする覚悟でそこに水を入れて放置をした→その結果…
541:プリンはのみものです。2013/03/26(火) 17:15:48.28 ID:bubV2O0i
私じゃなく、私の祖父の武勇伝だけど…
私の母親が私を生むずっと前…まだ学生で、田舎で実家暮らしをしていた頃の話し。
母親の実家では冬になると、ドラム缶いっぱいにストーブで使う灯油を買って入れてた。
田舎だからなのか、家のすぐ近くの、鍵のかからない(というか掛けられない)納屋に入れてた。
(それもなんか、今思うと怖い話だが…)
だが、最近やけに減るのが早く、使っていないのに一晩で半分無くなるという事もあった。
盗まれているのが分かり、腹が立った祖父(私の母親からすると父親)は、
ドラム缶を無駄にする覚悟でそこに水を入れて放置をした。
数日後、廃品回収のおじちゃんが、たくさんのストーブをトラックに乗せていたらしいw
その後、ドラム缶を買い直していつも通り灯油を買っていたが、
減ることは全くなくなったらしい。
ちなみに余談だが、母親が私の夫にその話をしたら、
「俺だったらガソリンを入れてやりますねwww、
そうすれば、どこの家が盗んだかって分かるじゃないですかwww」って、
冗談を言っていたww
私の母親が私を生むずっと前…まだ学生で、田舎で実家暮らしをしていた頃の話し。
母親の実家では冬になると、ドラム缶いっぱいにストーブで使う灯油を買って入れてた。
田舎だからなのか、家のすぐ近くの、鍵のかからない(というか掛けられない)納屋に入れてた。
(それもなんか、今思うと怖い話だが…)
だが、最近やけに減るのが早く、使っていないのに一晩で半分無くなるという事もあった。
盗まれているのが分かり、腹が立った祖父(私の母親からすると父親)は、
ドラム缶を無駄にする覚悟でそこに水を入れて放置をした。
数日後、廃品回収のおじちゃんが、たくさんのストーブをトラックに乗せていたらしいw
その後、ドラム缶を買い直していつも通り灯油を買っていたが、
減ることは全くなくなったらしい。
ちなみに余談だが、母親が私の夫にその話をしたら、
「俺だったらガソリンを入れてやりますねwww、
そうすれば、どこの家が盗んだかって分かるじゃないですかwww」って、
冗談を言っていたww
幼稚園にいたら先生が「お母さんが職場で怪我したらしい。同僚の人がお迎えに来てるから一緒に行って」というので知らない女の人と車に乗った→女「ごめんね、ちょっと降りて」→結果
喘息持ちで終戦間際まで徴兵されなかった祖父だったが、周囲から「庄屋の長男なのに体裁が悪い!」と非難されて泣く泣く出兵したらしい→そして南の島で捕虜になった祖父は…
402 :プリンはのみものです。 2015/11/25(水) 11:21:41 ID:XDn
祖父の写真を見つけて、衝撃を受けた話。
私の祖父はモダンな人で、戦前の農村でバイオリンを習うような優男(親戚談)だった。
手先が細かく、カメラや時計の修理や裁縫なんかも得意だったそうで、変わった人だと言われていたらしい。
背丈はあったがぜんそく持ちで、終戦間際まで徴兵を免れていたものの、村で一番の庄屋さんの長男が
お国のために行かないなんて、と非難されて、泣く泣く出兵。
手先が得意だからという理由で飛行機の整備をやらされたりしていたらしい。
その後、南の島で自分の隊が全滅し、たまたま伝令に出ていた祖父だけ生き残って捕虜に。
が、祖父はすごく社交的な人だったので、イギリス兵とすぐに仲良くなり、服を縫ってやる代わりに
英語を教えてもらうようになった。
もちろん当時は非国民!と罵る人もいたそうだけど、そのうち双方から認められて
他の日本兵捕虜とイギリス兵の間の橋渡し役として活躍したのだそう。
日本に帰還した兵士のほとんどが、ぼろぼろの軍服でうなだれて帰ってきたそうだが、
祖父は別れ際にイギリス兵にもらった白に金ボタンの礼服wでさっそうと佐世保港に現れ、
迎えに来た親族の度肝を抜いたそうだw
この前の連休に帰省した時に、祖父と同じ収容所にいた人の身内からそんな祖父の思い出話を聞いて
その後、蔵の掃除をしたら、終戦直後の祖父のアルバムが出てきた。
アメリカ兵が乗るハーレーのサイドカーに祖父がちょこんと乗った写真とか、例の白い礼服を着た祖父の
得意げな写真とか、アメリカ兵に混じってビリヤードをする祖父の写真とか・・・
英語ができるということで、終戦直後にまた色々と人脈を作って可愛がってもらっていたらしい。
ここまで書いたら本人特定されるかな?
この写真テレビに出したらすごく受けそうだなぁと思ったw
私の祖父はモダンな人で、戦前の農村でバイオリンを習うような優男(親戚談)だった。
手先が細かく、カメラや時計の修理や裁縫なんかも得意だったそうで、変わった人だと言われていたらしい。
背丈はあったがぜんそく持ちで、終戦間際まで徴兵を免れていたものの、村で一番の庄屋さんの長男が
お国のために行かないなんて、と非難されて、泣く泣く出兵。
手先が得意だからという理由で飛行機の整備をやらされたりしていたらしい。
その後、南の島で自分の隊が全滅し、たまたま伝令に出ていた祖父だけ生き残って捕虜に。
が、祖父はすごく社交的な人だったので、イギリス兵とすぐに仲良くなり、服を縫ってやる代わりに
英語を教えてもらうようになった。
もちろん当時は非国民!と罵る人もいたそうだけど、そのうち双方から認められて
他の日本兵捕虜とイギリス兵の間の橋渡し役として活躍したのだそう。
日本に帰還した兵士のほとんどが、ぼろぼろの軍服でうなだれて帰ってきたそうだが、
祖父は別れ際にイギリス兵にもらった白に金ボタンの礼服wでさっそうと佐世保港に現れ、
迎えに来た親族の度肝を抜いたそうだw
この前の連休に帰省した時に、祖父と同じ収容所にいた人の身内からそんな祖父の思い出話を聞いて
その後、蔵の掃除をしたら、終戦直後の祖父のアルバムが出てきた。
アメリカ兵が乗るハーレーのサイドカーに祖父がちょこんと乗った写真とか、例の白い礼服を着た祖父の
得意げな写真とか、アメリカ兵に混じってビリヤードをする祖父の写真とか・・・
英語ができるということで、終戦直後にまた色々と人脈を作って可愛がってもらっていたらしい。
ここまで書いたら本人特定されるかな?
この写真テレビに出したらすごく受けそうだなぁと思ったw
【モヤモヤ】祖父宅から現金60万円なくなったのが15歳の親戚の仕業だったんだけど、使い切った挙句お年玉までクレクレしにきた。父や私は怒りが収まらないんだけど、祖父本人は…
タヒんだ爺さんの遺品だったミニチュアお雛様を盗まれた。私(玄関に飾ってあったからなぁ~…爺さんに悪いことしたな。祟られないかな私)→爺さん、犯人に祟ってました→結果
152: プリンはのみものです。 2011/04/01(金) 11:33:32.80 ID:W26ESF06
流れは読まんしオカルト入っててサーセン。
対身内のみ霊感を発揮するうちの家族。
その時によって違うけど誰かタヒぬ時に近しい人が葬式の夢を見たり、タヒんだ親戚が夢枕で
「今日は爺さんの葬式だよ」とか言ってきたりする。
で、そういう縁があった人は形見分けの時に多めに分けるのが慣わし。
私の場合はタヒんだ爺さんとご縁があって、形見分けの時にいろいろ遺品を分けられた。
爺さんは色々コレクションするのが好きで、手乗りサイズの人形とかガラスの置物とか沢山分けられた。
折角なんで飾ってあげたいけど沢山あるので、季節にあった物をちまちま飾っている。
そしたら2月の終わりに飾っていたミニチュアお雛様盗まれたんだよね。
玄関入ってすぐのところに飾ってあったし人の出入りの多い家だから、犯人特定できずそのまま泣き寝入り。
爺さんに悪いことしたな〜。心霊写真とかで祟られないかな〜と思って過ごしていたらつい先日犯人が分りましたw
犯人、同じ幼稚園のAママだったw子供も学年違うし、園で挨拶する程度の仲だったからビックリした。
その日私が子供連れて幼稚園に行くと、何故かAママが詰め寄ってきた。手にしていたビニール袋を押し付けられてAママ逃走。
その中身がお雛様でした。
うわーwwwと思って改めてAママの家にお宅訪問。Aママは出てこなかったけどA姑さんが事の顛末を話してくれて大謝りしてくれた。
うちの爺さん、Aママに祟ってたみたい。お雛様は一応お寺で清めてもらうことにしたよ。
取りとめの無い泥話でゴメソ。
対身内のみ霊感を発揮するうちの家族。
その時によって違うけど誰かタヒぬ時に近しい人が葬式の夢を見たり、タヒんだ親戚が夢枕で
「今日は爺さんの葬式だよ」とか言ってきたりする。
で、そういう縁があった人は形見分けの時に多めに分けるのが慣わし。
私の場合はタヒんだ爺さんとご縁があって、形見分けの時にいろいろ遺品を分けられた。
爺さんは色々コレクションするのが好きで、手乗りサイズの人形とかガラスの置物とか沢山分けられた。
折角なんで飾ってあげたいけど沢山あるので、季節にあった物をちまちま飾っている。
そしたら2月の終わりに飾っていたミニチュアお雛様盗まれたんだよね。
玄関入ってすぐのところに飾ってあったし人の出入りの多い家だから、犯人特定できずそのまま泣き寝入り。
爺さんに悪いことしたな〜。心霊写真とかで祟られないかな〜と思って過ごしていたらつい先日犯人が分りましたw
犯人、同じ幼稚園のAママだったw子供も学年違うし、園で挨拶する程度の仲だったからビックリした。
その日私が子供連れて幼稚園に行くと、何故かAママが詰め寄ってきた。手にしていたビニール袋を押し付けられてAママ逃走。
その中身がお雛様でした。
うわーwwwと思って改めてAママの家にお宅訪問。Aママは出てこなかったけどA姑さんが事の顛末を話してくれて大謝りしてくれた。
うちの爺さん、Aママに祟ってたみたい。お雛様は一応お寺で清めてもらうことにしたよ。
取りとめの無い泥話でゴメソ。
姉にばかり厳しく当たり散らす母親。限界になった姉「私でストレス解消してるだけ」と祖父母宅へ家出→母の言い訳を聞いていた祖父が台所から包丁を持ち出して、母に突き付けた→結果
531 :プリンはのみものです。2016/01/26(火) 15:42:11ID:aUp
もう10年近く前の話になるけど不覚にも実の祖父に惚れそうになったよ
我が家の母親はやたらと姉に厳しかった
傍から見ても姉はそれなりに勉強して真面目に中学生やってたのに、母は学業から日常生活に至るまで姉に過剰な目標を課していた
家にはいつも母の怒鳴り声と物に当たる音が響いていた。自分も巻き添え喰らって宿題を破られて次の日先生に叱られたことがある
門限や娯楽も姉だけ妙に厳しかったな
ある日、いつもの如く母の発狂に付き合っていた姉が憔悴しきった顔で部屋に戻ってきた
「あいつは私に当り散らしてストレス解消してるんだ。私がいなくなったらどうなるか楽しみだわ」
と吐き捨てた姉に
「なら一度出ていってみれば?手頃な復讐にもなるし、上手く事が運べば現状を打開できるかもよ」
と提案してみた
姉は本当に出ていった。僅かなお小遣いと服をリュックに詰めて窓から飛び出していった
姉には申し訳ないけど何が起こるかちょっとだけ楽しみで、ドキドキしながら母には黙っていた
風呂に入ってさぁ寝ようかというタイミングで祖父母から電話がかかってきた。姉を保護してるから来い、とのこと。
母にしてみれば寝耳に水だよね。祖父母の家は徒歩20分程度だったから、夜中だったけど喚く母を宥めて祖父母の家に向かった。
祖父母の家には俯いて座る母と、いつもだったら寝ている時間なのに起きている祖父母がいた。
畦道に座り込んでいた姉に近所の役員が声を掛けて家に送り届けようとして、家に帰りたくなかった姉は祖父母の家の住所を教えたらしい
大体の事情は姉から聞いていたようで、祖父は姉の発言の真偽を母に尋ね始めた
全て本当だったけど、次第に母の声は小さくなって発言には言い訳が混じり始めた。
「恵まれている状況を当たり前だと思ったら人は堕落する!」
と母が言い訳すると、祖父は台所に行った
戻ってきた祖父は包丁を持っていた。状況を呑み込めない我々が茫然としていると、祖父は包丁を母に突き付けた
誰もその場から動こうとしなかった。今から考えれば自分も大概だったと思う。まぁタヒんでもいいかなとか考えていた。
悲鳴をあげた母に祖父が淡々と諭したことが、今も心に深く残っている
うろ覚えで悪いけど
「夫が妻を殴るもの、親が子供を餓タヒさせるのも、嫁を義理の両親が酷使するのも、強○された女が責められるのも、昔は仕方のないことだった
今は違う。稼ぐ夫に負い目を感じたり、親の顔色を窺って怯えて過ごしたり、殴らないでくれてありがとうございます、酷い目に遭わさないでくれてありがとうございます、と義理の両親に媚びたり男にへつらう必要もない
人が人である限り、誰もが当たり前に穏やかな生活と幸せな人生が保障される
それは決して甘やかしではない。人として当然の権利だ
俺たちは戦後何十年もかけて、そういう幸せな国を作ってきたつもりだ
頼むからこれからもそういう国で在り続けてくれ」
とりあえず震えて萎縮した母と自分を祖母が車で送ってくれた。姉はその日は祖父母の家で泊まった
それから母は随分と大人しくなった。
客観的に見ればかなり異常な出来事だけど、自分の中では未だに祖父は勇者
我が家の母親はやたらと姉に厳しかった
傍から見ても姉はそれなりに勉強して真面目に中学生やってたのに、母は学業から日常生活に至るまで姉に過剰な目標を課していた
家にはいつも母の怒鳴り声と物に当たる音が響いていた。自分も巻き添え喰らって宿題を破られて次の日先生に叱られたことがある
門限や娯楽も姉だけ妙に厳しかったな
ある日、いつもの如く母の発狂に付き合っていた姉が憔悴しきった顔で部屋に戻ってきた
「あいつは私に当り散らしてストレス解消してるんだ。私がいなくなったらどうなるか楽しみだわ」
と吐き捨てた姉に
「なら一度出ていってみれば?手頃な復讐にもなるし、上手く事が運べば現状を打開できるかもよ」
と提案してみた
姉は本当に出ていった。僅かなお小遣いと服をリュックに詰めて窓から飛び出していった
姉には申し訳ないけど何が起こるかちょっとだけ楽しみで、ドキドキしながら母には黙っていた
風呂に入ってさぁ寝ようかというタイミングで祖父母から電話がかかってきた。姉を保護してるから来い、とのこと。
母にしてみれば寝耳に水だよね。祖父母の家は徒歩20分程度だったから、夜中だったけど喚く母を宥めて祖父母の家に向かった。
祖父母の家には俯いて座る母と、いつもだったら寝ている時間なのに起きている祖父母がいた。
畦道に座り込んでいた姉に近所の役員が声を掛けて家に送り届けようとして、家に帰りたくなかった姉は祖父母の家の住所を教えたらしい
大体の事情は姉から聞いていたようで、祖父は姉の発言の真偽を母に尋ね始めた
全て本当だったけど、次第に母の声は小さくなって発言には言い訳が混じり始めた。
「恵まれている状況を当たり前だと思ったら人は堕落する!」
と母が言い訳すると、祖父は台所に行った
戻ってきた祖父は包丁を持っていた。状況を呑み込めない我々が茫然としていると、祖父は包丁を母に突き付けた
誰もその場から動こうとしなかった。今から考えれば自分も大概だったと思う。まぁタヒんでもいいかなとか考えていた。
悲鳴をあげた母に祖父が淡々と諭したことが、今も心に深く残っている
うろ覚えで悪いけど
「夫が妻を殴るもの、親が子供を餓タヒさせるのも、嫁を義理の両親が酷使するのも、強○された女が責められるのも、昔は仕方のないことだった
今は違う。稼ぐ夫に負い目を感じたり、親の顔色を窺って怯えて過ごしたり、殴らないでくれてありがとうございます、酷い目に遭わさないでくれてありがとうございます、と義理の両親に媚びたり男にへつらう必要もない
人が人である限り、誰もが当たり前に穏やかな生活と幸せな人生が保障される
それは決して甘やかしではない。人として当然の権利だ
俺たちは戦後何十年もかけて、そういう幸せな国を作ってきたつもりだ
頼むからこれからもそういう国で在り続けてくれ」
とりあえず震えて萎縮した母と自分を祖母が車で送ってくれた。姉はその日は祖父母の家で泊まった
それから母は随分と大人しくなった。
客観的に見ればかなり異常な出来事だけど、自分の中では未だに祖父は勇者
私が中学生の頃、近所の同年代の女の子が学校帰りに攫われて〇〇されてコロされたんだけど、あちこちで「じいさんの罪が孫に巡ってきた」と囁かれた→じいさんは何をしたかと言うと…
136:プリンはのみものです。2014/05/07(水) 13:54:11.67ID:CzBP5qLH0
>何か不幸事があった時に私のことを嫌いな人から
>「あー、因果応報だよね、ざまあみろ」
私が中学生の頃、近所の同年代の女の子が
学校帰りに攫われて無理矢理△△△コロされるという無残な事件があったんだけど
あちこちで「じいさんの罪が孫に巡ってきた」と話になってた
タヒんだ女の子の祖父は若い頃に△△△をしたけど
当時その祖父の家は戦前の地主で権力があったから
被害者は妊娠までしたのに泣き寝入りだったらしい
田舎だから40年以上経ってもその事件を覚えてる年寄りは多くて
「因果応報だよ」とあちこちで言われて
しばらくしてそのおじいさんも変なタヒに方をした
因果応報というといつもこの出来事を思い出す
