965 :プリンはのみものです。 2010/12/23(木) 20:41:16 0
    今うちの母とトメが微妙に手伝いがほしい状態(母:骨折、トメ:足が悪い)。
    夫もうちの母のためにスロープつける手伝いとかしてくれたんで、
    夫への恩返しと思ってトメの世話もしてる。
    ただトメは私が母の面倒を見てるのが気に食わないみたいで
    「どうせお金持ってるほうにいくのよね~いいわね嫁母は。
    遺産目当ての子どもたちが面倒見てくれるもんね~嫁子もお金目当てなんでしょう?
    あーそういう性根がいやらしい」みたいなことを言うんだよね。

    通常はコトメと交替(コトメ週4、私週3)で行ってたんだけど、
    こないだ連絡ミスでコトメと一緒になってしまった。
    トメの「どうせ~」を聞いたコトメ「ずうずうしいんだよ(ボソっ」
    トメ「え?なに?コトメちゃん」
    コトメ「あんた図々しいんだよ。ふつうは子育てして子どもが恩返ししてくれるか、
    金ためといて自分の始末つけるんだよ!金はねー子育てはしてねー
    それで面倒見てもらえると思ってる、てめーの性根がいやらしいんだよ!」
    トメがきょどってるあいだに、コトメに引きずられて帰ってきた。
    この件は弟(私夫)に行っておく、嫁はもうトメに会わなくていい、
    むしろこれ以上恥を晒したくないので会わないでくれとのことで、
    それ以降私はトメに会ってない。
    コトメが毎日スーパーでお弁当買って、トメ家の玄関にひっかけてるそうだ。

    736 :プリンはのみものです。 2017/01/18(水) 11:56:36 ID:lSP
    父は娘の私の目から見てもエネ夫。
    マザコンで、外でいい格好するために母を利用する人。
    母は母で「お父さんはああいう人だから」で諦めるエネME。
    そんな両親が共に50代になり定年が視野に入ってきた頃
    唐突に母が、とっくに解散した芸能グループのファンになった。
    通勤途中にニコ動で「懐かしの映像」を見ているうち好きになっちゃったらしい。
    それを知った父が激しく母を馬鹿にするようになり
    引退したメンバーについてわざわざネットで調べたりして
    母の前でその情報を話してあざ笑ったりした。
    とっくに解散してるからお金をつぎ込むこともなければ
    ライブに行くこともないし
    家事や仕事がおろそかになったわけでもないのに
    父はしつこく「今更」とか「馬鹿だ」「趣味が悪い」「ババアのくせに」
    と毎日のように母を笑っていた。
    母は父に何を言われても「はいはい」って感じで流していた。
    横で見ている私の方がイライラした。
    2年くらいしてそのグループのことなんて父も私も忘れた頃、
    父がぼそっと「定年後は旅行でも行くか」と母に言った。
    母は即効で断った。
    そして、「行くなら一人で行って。切符もホテルもあなたが手配しなさい。
    着替えも自分で用意して持っていって。そのくらい一人で出来る年ですよね」
    と冷たい口調で言った。
    母が父に対してそんな風に言うのは初めてで、父も私もポカンとなった。

    あとで母に聞いたら、私が無事就職して独り立ちしたら
    この家を出て行くつもりだって言われた。
    離婚はしてもしなくてもどっちでもいいし、何ならちょっとくらい慰謝料払ってもいいけど
    とにかく定年後の父と一緒にいたくないんだって。
    そう思ったきっかけが例の解散済みグループのことだと知って驚いた。
    きっかけというかコップの水が溢れる瞬間がそれだったってだけだと思うが
    とにかくあの時期に「ああもうこいつといたくない」と強く思ったんだそうな。
    母は資格持ちだし、定年退職後も働き口はあるから
    離婚も別居も反対しないよとだけ言っておいた。
    しかし嫁姑戦争にも借金にも耐えた愛情?が
    これで壊れたのかーと、なんだか複雑。母のためにはいいんだろうけど。

    468 :プリンはのみものです。
    私の母は素で「子供のものは親である自分のものだ」と思っている。
    私と母の部屋は隣同士なんだが、手元に書くものがなければ私の部屋の引き出しから勝手に持っていき、
    教科書やノートを開くと、母の走り書き(メモ的なもの)があるのは日常茶飯事だった。
    学校で借りた本も、小遣いで買った漫画本も、断りすらなく持っていったり人に貸したりする。

    でも毒親ではなく、欲しいものは理由があれば買ってくれるし、父と対立すると大体味方になってくれる。
    私のなりたい職業にも理解はあったし、学校帰りに迎えに来てくれたりすることも多かった。
    でもどうしようもなく、私のものを勝手に持っていったり使ったりする。

    小学生の頃は「それが普通」だったからたまに文句言う程度だったけど、
    中学生になって、友人の家に遊びに行ったりするうちに「私の母はおかしいんじゃないんだろうか」と思い始めた。
    母に「私のものは私に使わせてほしい」と言っても「家のお金で買ったものだから私が使うのは当たり前でしょ」と私が反抗期であるかのように諭してくる。
    父に相談しても、父は実害がないせいか「母さんの言うことに従いなさい」というばかり。
    私の通学用の自転車をスーパーに置き忘れてきたり、下着を兼用しようとしてきて、「これはやばい」と思い本格的に対策をし始めた。

    最初は部屋に鍵をつけようとしたんだが、父の大反対に合い、話し合いも空しく却下された。
    そこで、学校で使うものは学校に置いておき、復習や宿題なども放課後に学校でやってから帰った。
    誕生日に鍵付きの金庫を買ってもらい、通帳や金銭類、携帯ゲーム機などはそこで保管した。
    幸い友人には恵まれていたので、近所の友人宅に一緒に自転車を置かせてもらったり、
    金庫に入りきらないゲーム機などは自由に遊んでいいことを条件に友人に預けた(その子の親の了解済み)。
    今思うと友人間のトラブルの種になりそうなことばかりだけど、ほんといい友人ばかりで、問題が起こったことは一切なかった。

    高校に入り、私と母の体格が似てきたことで、今まで被害がなかった洋服類にも被害が及び始めた。
    これはクローゼットの取っ手に南京錠をかけることで対処。通学鞄もそこに放り込むようにした。
    時々友人が遊びに来たが、みんな私物がほとんどない部屋に驚いていた。

    大学進学時には迷わず県外大学を選択、一人暮らしを始めた。
    その際に友人に預けていたものを全て引き取ったんだが、一部の漫画本やぬいぐるみ等は持っていくことができず、実家に置いておくことにした。
    次に帰省した時、置いて行ったものは大体なくなっていた。
    大学卒業後もなんだかんだと理由をつけ、一人暮らしを続行。
    離れて暮らしているうちに、「あれ、私の親はそこまで以上じゃなかったかもしれない」と思い始めた。
    定期的に私の希望に沿った仕送りをしてくれるし、それなりの距離を保って接してくれる。
    「あの頃は私も思春期だったし、思い込みもあったかも」と今まで避けてきた長めの帰省をしてみた。
    帰省した翌日に、私のスマホを勝手に持っていこうとするところを目撃し、今までの対策が間違っていなかったことを実感した。

    85 :プリンはのみものです。 2018/10/20(土) 05:01:02 ID:mJ4scFJT.net
    叔母が家庭に縛られてばかりで鬱になるとキーキー言うので気晴らしとして母のやっていた店を手伝ってもらっていた。
    しばらくして叔母がその店の客と浮気して旦那と子供置いて家出。
    その後、母と母の友人が叔母について話し込んでいた時にポロッと「〇〇(母の名)の前の旦那の時だってあの女が寝取ったくせに…!」と爆弾投下。
    その時に始めて母が再婚&兄と父が違う事を知ったけどあまりにもポロッと過ぎて何もリアクションできんかった。


    270 :プリンはのみものです。2018/04/27(金) 11:55:55ID:cRb
    リアルじゃ言えないので愚痴らせて。
    父が一昨年亡くなった。交通事故で自損。完全に父の過失。他人をまきぞえにしなかったのが救い。
    父は穏やかで楽しい人で大好きだった。半年以上父のタヒをひきずった。
    母は私が子供の頃からヒスだった。
    でも今の母は別人だ。
    釣りあがってた眉と目が下がってむしろタレ目っぽくなった。
    太った。庭の手入れや、かわいい食器を集めるようになった。
    タレ目でぽっちゃりして食器にうきうきしてる母を見ると「誰?」って思う。
    父の存在が母にはストレスだったんだろうね。それはわかる。
    父は楽しいけど子供っぽい人だった。
    運転もするなって禁止されてた。事故ばっかり起こすから。タヒんだ日は隠してたキーを見つけてこっそり競馬に行こうとして、事故った。
    お金があるだけ使っちゃう人で、目の前に楽しいことがあると我慢できなくていつまでも小学生男子みたいな人だった。
    でも私は父が好きだったからガミガミ言う母が嫌いだった。
    母が怒って、私が泣いて、父が茶化して助けてくれて終わりが我が家のパターンだった。
    父がいなくなって穏やかになっていく母がイヤだったし
    母の気持ちもわかるーなんてどっかで思ってる自分もイヤだった。
    父の遺品を整理した。そしたら父浮気してた。
    父を好きって気持ちがスーっと半分以上消えた。
    私が子供のころから思ってた「おとーさん好き」ってなんだったんだろう。自分に都合のいい父だったから好きだったのかな。
    自己嫌悪とか父に対する思いとかグチャグチャで整理がつかない。浮気の証拠は捨てた。

    362: :2015/04/21(火)20:45:44 ID:
    昔話 長いし同じ日本と思えないような話だけど誰かに聞いてほしくて書き込みします

    私の家は両親と姉、私、弟の5人家族だった。
    とは言っても父は仕事が忙しいとかなんとかで別居をしていて、年に数回しか顔を見ることはなかった ここまでが前提

    としごの姉は私が物心ついたときから意地が悪く、私と双子の弟はよく殴られたり蹴られたりしていた
    母はパートに出ていたけど、私と弟の異変にはすぐに気付いてくれて姉を叱った

    でも、母の姉への叱り方が子供から見てもおかしかった
    私や弟に叱るような諭すような感じではなく、「やめなさい」「今度したら追い出すよ」と冷たい表情と声で言った後に存在を一切無視する
    姉が怒ってもっと危害を加えたり、母に暴言を吐いたりしたら本当に追い出してしまう
    友人のいない内弁慶の姉は泣いて許しを請うても数時間経たないと家に入れてもらえなかった

    母の姉と私達の対応の違いは年々ひどくなっていった
    決定的な出来事は中学校に上がったあたりの母の日のこと、私と弟でサプライズで母の好物の料理を作ったことがあった

    パートから帰ってきた母はとても喜んでくれて、「なんていい子に育ったんだろう」って言って泣いて喜んでくれた
    とてもいい雰囲気だったんだけど、部屋にこもってた姉がやってきて(サプライズに誘ったけど無視されていた)
    「泣くとかwwwだっさwwwおばさんになるとこんなシケた事しか楽しみないのなwww私まだ若くてよかったww」
    って言って私と弟が作った手羽先とレンコンの煮物の中に痰を吐き捨てた

    年中こんな感じの姉だったけどさすがに怒った私と弟は食ってかかったけど、姉は大爆笑しながら出かけてしまった
    母は見たことがないくらい冷たい顔で煮物を眺めた後、ごめんねごめんねと煮物を洗ってまで食べようとしたから慌てて止めた

    その日から母は姉を完全に無視するようになった
    料理も洗濯も姉の分だけしない。絡まれてもそこにいないように扱う。家族で出かける時も置いていく。姉の誕生日や授業参観もスルーだった

    私と弟がオロオロしても、何を言っても「大丈夫大丈夫」と笑うだけだった

    姉は今でいうキョロ充だったので、最初は「無視してんじゃねーよババアww」って虚勢張ってたのに時間が経つにつれて可哀想なくらいに動揺しだした
    部屋で毎日泣いていたようで、さすがに可哀想になって母に言ってもやっぱり「大丈夫大丈夫」かわされた

    ちょうど姉が中3の時、進路相談があって概要のプリントを母に渡した 無視から半年が経っていたがさすがに進路相談は来るものと思っていたのだろう。
    姉の顔は久しぶりに母と話せる喜びが溢れていた

    でも、母は受け取ったプリントを一瞥もせずにグチャグチャに丸めてしまうと、生ごみ入れに捨ててしまった
    ここで姉は声を上げて泣き崩れた
    でもやはり母は無視をして、私と弟に「明日のおやつは久しぶりに手作りプリンだよ」なんて朗らかに言ってる もう気が狂いそうだった

    224 :プリンはのみものです。2018/02/18(日) 19:41:27ID:tOW
    まじめに働きアリやっていると人生いいことも沢山あるな、とキリギリスを見てて思う。

    自分語りの長文なので、煩わしいと感じる方は回避してください。

    20歳で結婚して、翌年から四人の子を授かった。
    夫は5歳年上で、私たち夫婦は今風に言うDIY好きが集まるサークルで知り合った仲。そんな私たちは結婚と同時に夫の祖父から空き家になっていた超激安中古物件を売っていただいて、今もセルフでリフォームしている。
    子供たちが幼かったころは手形とか足形をとって庭のタイルに嵌め込んでみたり、長男が小学生の図工で作った「だいぶつ」(見た目お地蔵さん)を玄関先に設置してみたり、露天風呂作ったり好き勝手にやってる。
    (サークル仲間に本職の方や引退した大工の方がいて、お知恵を拝借することもある。私自身元大工)
    平凡に楽しく暮らしていたけど、私にはじめて癌が見つかったのは30の時だった。
    以来、治療、再発、治療、再発と繰り返しながら育児をし、少しでも治療費のタシにしたくて在宅仕事ができる資格をとって在宅仕事をやるようになった。
    癌治療は辛いことも山ほどあるけど、夫も子供たちも精一杯支えてくれたし、家族を残してタヒにたくないって必タヒに頑張ってきた。

    そんな私たち家族を、思いっきり笑ってくれたのが母と姉。嘲るって言葉が現代でも使われる言葉だとあの人たちを見ているとわかる。
    実家の父は私が中学の時に亡くなり、生前はそれなりに裕福だったけど、貯めるより使うほうが好きな母と姉が遺産を食い潰し、学費が続かなくなった私は高校を中退した経歴がある。
    結婚も早かったし、家庭菜園やったり、ボロ屋をちまちま自分たちで改造したりしているからお金がないと思われていたんだろうけど、結婚した当初から「学のない貧乏人は働きアリで一生が終わる」って言われてきた。
    「高校も卒業できず、大工なんかやってる惨めな子」って馬鹿にされてきたけど、私が中退したのはこの二人のせい。高校中退して最初の妊娠をするまで大工していた。
    (おかげでDIYにめざめたし、夫にも知り合えた)
    玉の輿とやらに乗るのが賢い女の生き方だって耳にタコができるほど言われてきた。
    この人たちは自分の娘と妹が癌だってわかったときにわざわざ病院に来て、「香典の前払い」とか「タヒんでも連絡して来なくていいから」とか言うような香ばしい人たち。
    口を開けば貧乏人とか、乞食とか、人を馬鹿にする言葉しか言わないから好んで会う理由もないから、距離を理由に極力関わらずにきた。

    その姉は念願だった玉の輿とやらに乗ったけど、相手が20歳以上年上だったことや、あからさまに財産狙いの姉を男性の連れ子(一番上が私と同い年)やウトメが快く思うはずもなく、ほぼ召使いとして扱われてきたそうな。
    で、つい出来心で若い男と浮気。妊娠が原因で即バレして無一文で追い出された数年後、母に痴呆がはじまったそうだ。
    八方ふさがりでどうしようもなくなって「助けなさい」と連絡がきた。
    痴呆の母と高齢出産した子を抱えて色々苦しいそう。
    子守りと介護要員と労働者として使ってくださる気なのか、うちの子を寄越せと言ってきた。
    何度も掛かってくるから、長男が電話に出た時に「アリとキリギリスの話知ってる?怠け者のキリギリスは冬を越せなくてタヒんじゃうんだよー。昔、お袋に寄越した香典、返すね。うちのお袋、生きてるしー」と言ったそうだ。
    (私は通院してて不在だった)

    後日怒り狂った姉から鬼電かかってきて「どういう躾をしているんだ」って言われたけど、ふつうに答えた。「病室に香典前払いしに来るような人とはたとえ血がつながっていても関わるなって教えてあるよ」って。
    そしたら今度は泣き落とし。姉妹なんだから助けてとか、あんたの母親でもあるんだからとか、4人もいるんだから1人増えたって世話できるでしょう、子供だけでも引き取ってとか言いだした。
    直接会ったことがないから判断できないけど、どうも甥は池沼の傾向がある模様。単純に躾がなっていないだけかもしれないけど、素行がたいへんよろしい様子。甥の暴力がひどいみたい。

    全部お断りして、「タヒんでも知らせてこなくていいから」と言っておいた。
    以後見知らぬ番号ごと着信拒否した。
    幸薄い老後だろうなと思うけど、散々働きアリだって馬鹿にされたので、キリギリス様を養う気なんてない。
    長男と長女が結婚して我が家は孫フィーバー中。子供たちが小さかった時にとった手形と足形の近くに、孫の手形と足形をとった。
    長男のだいぶつは今も玄関前に鎮座しているんで、毎朝家族で拝んでる。
    発癌以来、諦めたこともたくさんあるけど、家族を見ていると生きててよかったと思うし、働きアリでよかったなと思う。

    479 :プリンはのみものです。
    うちの母は兄を超溺愛している。
    兄が結婚した時、正直言って「息子を取った!って嫁いびりするんじゃないかなー」と心配だった。
    でもそれは杞憂だった。母はびっくりするほど良い姑になった。
    実の娘のように可愛がった。本当の実の娘である私のことは相変わらず空気だったがw
    同居したがるとか、盆正月に無理に呼び出す事もなかった。

    しかし3年ほどして兄が浮気した。
    兄嫁がどうと言うんじゃなく、単純に新鮮味がなくなった、飽きたってことらしい。
    浮気がバレた時、兄は堂々と
    「他に好きな人ができたんだからしょうがない。経産婦の妻はもう女として見れない。
    妻が許さないというなら仕方ないから離婚する。父さん母さん弁護士頼んで」
    と実家に言いに来た。
    父も私も兄も、いつものように母が「息子チャンはしょうがない子ね〜ハイハイわかったわ」と言うと思った。
    しかし母は泣いて怒り、兄をクイックルワイパーでどついて追い出した。

    泣く母の背中をさすっていたら「娘ができたみたいで嬉しかったのに」と言われ、内心修羅場というか複雑。
    いや、娘(私)は21年前から一応いますが…
    母の脳内で、いったい私の存在はどういうことになってんだろうか。

    931: プリンはのみものです。 2011/02/03(木) 20:46:57 ID:GtE7xpZ0
    さっき家に帰ったら母が怒ってた。
    なんでも昼間、隣町のスーパーから
    「娘(私)さんが万引きした」と連絡を貰って、
    行ってみたらそこには中学時代の同級生Aとその娘。

    Aは「お母さん!」、A娘は「おばあちゃん!」と呼びながら駆け寄ってくる迫真の演技っぷり。
    そして母の耳元で「お願い!(私)ちゃんと仲良くしてあげるから」と囁いたらしい。
    母はさくっと「うちの娘じゃなくて、××のAさんですよ~」と
    Aの身元を店員に告げて帰ってきたらしい。
    ちなみにAは中学時代に私をひどく苛めてきた相手。
    今更仲良くしてあげるって、お互いもう社会人なんだけどね・・・。


    197 :プリンはのみものです。 2019/01/29(火) 10:00:05 ID:fW8.m2.em
    毎年亡くなった母の誕生日に私、兄、兄嫁、父で集まり、母の大親友のレストランで偲ぶ会(ってほど大層なものじゃないけど)をやってるんだけど夫に、
    「亡くなったお母さんの誕生日なんていつまでやるつもりなの?
    高いお金出して美味しいもの食べるための口実で行ってるだけなんじゃない?」と言われた。
    私の驚いた顔を見て流石にマズイ!と思ったのか慌てて謝ってたけど、ちょっとその場では「いいよ。」とは言えなかったわ。
    確かに母親友のレストランはかなり高級なお店だと思う。
    普段食べに行くようなお店と比べたらゼロが1つ多いようなメニューばかりだしさ。
    でも年1回、しかも私の給料から出してやってる事をそんな風に言われるなんて思わなかった。
    家族で集まって母の思い出話に花を咲かせる事の何が悪いんだよ!