303:プリンはのみものです。2016/01/30(土)18:28:44ID:ZVP
    復/讐と言うにはぬるいかもしれないけど書き込みさせてください。

    毎月20万家に入れていたのに兄夫婦と同居するからと追い出された結果。

    家を出るまで、
    (父が借金を遺してこの世から退場したので)
    毎月20万家に入れて私が家庭を支えてきた。

    母は更年期と称して働かず、家事もやらなかったから必然的に私が殆どのことをやっていた。
    ある日母と兄夫婦がいきなり
    「同居するからスネカジリは出て行け」と言いだした。
    突然のことに反発した私を3人がかりでpgrしてくれた。
    ソファに座っている3人の前で2時間正座してた。
    曰く「お嫁にも行かない極潰し」
    曰く「30にもなって母親に寄生するダメな子」
    曰く「いつまでも親の脛をかじる能無し」
    だって。

    その頃の家の経済基盤はすべて私の稼ぎで成り立っていた。
    母は浪費家ではないけれど騙されやすく、簡単に人を信用してお金を出してしまう。
    (2度ほどオレオレ詐欺に引っ掛かったorz)

    父が遺した借金も、元を正せば母が知人の保証人になった結果負ったものだ。
    父が亡くなった後は実家暮らしだった私が母の生活の世話を惰性で引き継いだ。
    母は私が毎月いくら支払って、いくら家の維持にかけているのか知らなかった。

    193:プリンはのみものです。2014/06/19(木) 19:41:50.69
    明るくて誰からも愛される自慢の母親が壊れたこと
    兄が母の過去に触れたせいでまるで別人に豹変
    数日前のことだけど仕事が手につかないほど衝撃を受けた

    472: プリンはのみものです。 2014/05/23(金) 12:17:32.53 ID:IumXUO8Q.net
    昨年生まれた息子にちょっと日本人離れした特徴があった
    私も夫も日本人なので珍しいなと思ってたら、
    母の様子がおかしくなった
    私、父の子じゃなかった
    昔母が一年ほど不倫して、その時にできた子らしかった
    両親は離婚、母は出て行って音信不通
    父にはお前とは親子の縁を切る、
    二度と顔を見せるなといわれた
    実家の鍵も電話も携帯も変えられた
    父にとって私は裏切りの象徴でしかないらしい

    30年近く父子として過ごしてきた年月は、
    父にとってなんの重みもなかったのかな
    両親双方に裏切られた思いで茫然としてる

    531 :プリンはのみものです。2016/01/26(火) 15:42:11ID:aUp
    もう10年近く前の話になるけど不覚にも実の祖父に惚れそうになったよ
    我が家の母親はやたらと姉に厳しかった
    傍から見ても姉はそれなりに勉強して真面目に中学生やってたのに、母は学業から日常生活に至るまで姉に過剰な目標を課していた
    家にはいつも母の怒鳴り声と物に当たる音が響いていた。自分も巻き添え喰らって宿題を破られて次の日先生に叱られたことがある
    門限や娯楽も姉だけ妙に厳しかったな
    ある日、いつもの如く母の発狂に付き合っていた姉が憔悴しきった顔で部屋に戻ってきた
    「あいつは私に当り散らしてストレス解消してるんだ。私がいなくなったらどうなるか楽しみだわ」
    と吐き捨てた姉に
    「なら一度出ていってみれば?手頃な復讐にもなるし、上手く事が運べば現状を打開できるかもよ」
    と提案してみた
    姉は本当に出ていった。僅かなお小遣いと服をリュックに詰めて窓から飛び出していった
    姉には申し訳ないけど何が起こるかちょっとだけ楽しみで、ドキドキしながら母には黙っていた
    風呂に入ってさぁ寝ようかというタイミングで祖父母から電話がかかってきた。姉を保護してるから来い、とのこと。
    母にしてみれば寝耳に水だよね。祖父母の家は徒歩20分程度だったから、夜中だったけど喚く母を宥めて祖父母の家に向かった。
    祖父母の家には俯いて座る母と、いつもだったら寝ている時間なのに起きている祖父母がいた。
    畦道に座り込んでいた姉に近所の役員が声を掛けて家に送り届けようとして、家に帰りたくなかった姉は祖父母の家の住所を教えたらしい
    大体の事情は姉から聞いていたようで、祖父は姉の発言の真偽を母に尋ね始めた
    全て本当だったけど、次第に母の声は小さくなって発言には言い訳が混じり始めた。
    「恵まれている状況を当たり前だと思ったら人は堕落する!」
    と母が言い訳すると、祖父は台所に行った
    戻ってきた祖父は包丁を持っていた。状況を呑み込めない我々が茫然としていると、祖父は包丁を母に突き付けた
    誰もその場から動こうとしなかった。今から考えれば自分も大概だったと思う。まぁタヒんでもいいかなとか考えていた。
    悲鳴をあげた母に祖父が淡々と諭したことが、今も心に深く残っている
    うろ覚えで悪いけど
    「夫が妻を殴るもの、親が子供を餓タヒさせるのも、嫁を義理の両親が酷使するのも、強○された女が責められるのも、昔は仕方のないことだった
    今は違う。稼ぐ夫に負い目を感じたり、親の顔色を窺って怯えて過ごしたり、殴らないでくれてありがとうございます、酷い目に遭わさないでくれてありがとうございます、と義理の両親に媚びたり男にへつらう必要もない
    人が人である限り、誰もが当たり前に穏やかな生活と幸せな人生が保障される
    それは決して甘やかしではない。人として当然の権利だ
    俺たちは戦後何十年もかけて、そういう幸せな国を作ってきたつもりだ
    頼むからこれからもそういう国で在り続けてくれ」
    とりあえず震えて萎縮した母と自分を祖母が車で送ってくれた。姉はその日は祖父母の家で泊まった
    それから母は随分と大人しくなった。
    客観的に見ればかなり異常な出来事だけど、自分の中では未だに祖父は勇者

    806 :プリンはのみものです。2013/11/03(日) 21:50:59ID:JanbfOSb
    私の母は病タヒしている
    最後の最後まで本当に愛してくれたし、手作りが好きな人だったので
    病院のベットなんかでもいくつか手作りの品を作ってくれた
    これを私だと思ってね…と手渡してくれた
    その事は彼氏にも伝え、大事な思い出で大切な形見なんだと話していた

    ある日、友人と買い物に出かけたが友人が急に仕事関係の用事が入ってしまい
    早めに自宅へと帰ったら玄関ドアの鍵があいていた
    あれ?鍵かけわすれて出ちゃったっけ?と中に入ってみると彼氏が部屋の中に
    合鍵渡してないはずなのに

    部屋の中にいた彼の足元にはゴミ袋
    手にはハサミと切り刻まれた母親の形見の品
    しばらくして正気に戻って何やってるのか聞いたら
    「お前は過去に縛られすぎる、俺が開放してやる!俺と未来を見る為にな!」とか言い出した

    そのドヤ顔見たらもう頭が真っ白になって発狂して、○してやる!と言いながら首しめてた
    少しして私が我に返って事なきを得たけど半分くらいズタズタにされて、
    ボロ雑巾のようになってしまった形見を抱きしめながら大泣きしてしまった
    もう心は冷め切って彼氏とは別れようと思った

    その後、彼が家に帰って自分の父親に怒りすぎだよなとか話したそうで
    彼父は私と同じように母親を亡くしているらしく形見を大事にしていた人だそうで
    自分の息子を顔が分からないくらいボコボコに殴りまくって土下座しにきた
    更に彼の大事にしてるものを全て目の前で私の代わりにズタズタに壊したそうだ
    人の気持ちの分からない子に育てて大変申し訳ないと謝罪してくれた
    自分では何も出来なかったけど、少しだけ溜飲は下がった
    今は補修出来そうなものをコツコツ補修しています
    彼氏とは別れ話しましたが、しつこく食い下がられてウンザリです

    460 :プリンはのみものです。2014/10/19(日) 19:03:44ID:O0TeZjiiw
    私の両親はいわゆる毒だったと思う。
    母は虫の居所が悪いと30センチの竹製の物差しで、背中をばしばし叩く。
    高校生になって体格的に私の方が勝つまでずっとこれをやられていて、背中にはいまだに
    内出血の跡が残ってる所があるくらい。夏に水泳の授業があっても、水着になることができずにいつも休んでいた。
    父は、私に興味がなかったのか、母にどれだけ殴られようとただひたすら無視。
    父が母と離婚するまでほとんど話したことがない、いわゆるネグレクトってやつだったんだと思う。
    でも母は、顔と外面だけはよかったから、誰もそんなことには気づかなかったと思う。
    小学校の頃一番仲のいい友達に母のことを言ったけど私が悪いことをしたんじゃないの?と言われてからは誰にも言わなかった。
    それでも父の稼ぎがよかったので、私は大学まで出してもらった。
    大学の時に同じ部に入ってる人と付き合い始めて、25歳の時に結婚した。
    結婚する前にうちの両親とはつき合いたくない理由を話し、疎遠にしてもらうことで納得してもらっていた。
    結婚後は彼の両親とも同居することなく、程よい距離を保ちながらのお付き合いをさせていただき
    幸せだった。

    26:プリンはのみものです。投稿日:2006/12/12(火) 13:07:43
    離婚決意しました。
    日曜日に母が倒れて入院。時間の問題といわれて付き添いをし、
    疲れて帰ってきて眠っていると妻の声が・・どうやら電話で妻の母と話してる様子。
    「お母さんタヒんだら、遺産とか入ってくるんだ。楽しみ!!」
    「早くタヒんでくれないと、年賀状の予定立たないし・・・」
    「葬式とかめんどい。でも泣いてる振りして良い嫁をやるから大丈夫。」
    怒りすら沸いてこんなかった。
    その後も妻は母がタヒんだら二世帯住宅を建てて一緒に住む計画を立てたり
    どうせなら秋にしてくれればよかったとか話していた。
    俺が起きたことに気づいたらあわてて電話切ったけどもう遅いよ。

    965 :プリンはのみものです。 2010/12/23(木) 20:41:16 0
    今うちの母とトメが微妙に手伝いがほしい状態(母:骨折、トメ:足が悪い)。
    夫もうちの母のためにスロープつける手伝いとかしてくれたんで、
    夫への恩返しと思ってトメの世話もしてる。
    ただトメは私が母の面倒を見てるのが気に食わないみたいで
    「どうせお金持ってるほうにいくのよね~いいわね嫁母は。
    遺産目当ての子どもたちが面倒見てくれるもんね~嫁子もお金目当てなんでしょう?
    あーそういう性根がいやらしい」みたいなことを言うんだよね。

    通常はコトメと交替(コトメ週4、私週3)で行ってたんだけど、
    こないだ連絡ミスでコトメと一緒になってしまった。
    トメの「どうせ~」を聞いたコトメ「ずうずうしいんだよ(ボソっ」
    トメ「え?なに?コトメちゃん」
    コトメ「あんた図々しいんだよ。ふつうは子育てして子どもが恩返ししてくれるか、
    金ためといて自分の始末つけるんだよ!金はねー子育てはしてねー
    それで面倒見てもらえると思ってる、てめーの性根がいやらしいんだよ!」
    トメがきょどってるあいだに、コトメに引きずられて帰ってきた。
    この件は弟(私夫)に行っておく、嫁はもうトメに会わなくていい、
    むしろこれ以上恥を晒したくないので会わないでくれとのことで、
    それ以降私はトメに会ってない。
    コトメが毎日スーパーでお弁当買って、トメ家の玄関にひっかけてるそうだ。

    736 :プリンはのみものです。 2017/01/18(水) 11:56:36 ID:lSP
    父は娘の私の目から見てもエネ夫。
    マザコンで、外でいい格好するために母を利用する人。
    母は母で「お父さんはああいう人だから」で諦めるエネME。
    そんな両親が共に50代になり定年が視野に入ってきた頃
    唐突に母が、とっくに解散した芸能グループのファンになった。
    通勤途中にニコ動で「懐かしの映像」を見ているうち好きになっちゃったらしい。
    それを知った父が激しく母を馬鹿にするようになり
    引退したメンバーについてわざわざネットで調べたりして
    母の前でその情報を話してあざ笑ったりした。
    とっくに解散してるからお金をつぎ込むこともなければ
    ライブに行くこともないし
    家事や仕事がおろそかになったわけでもないのに
    父はしつこく「今更」とか「馬鹿だ」「趣味が悪い」「ババアのくせに」
    と毎日のように母を笑っていた。
    母は父に何を言われても「はいはい」って感じで流していた。
    横で見ている私の方がイライラした。
    2年くらいしてそのグループのことなんて父も私も忘れた頃、
    父がぼそっと「定年後は旅行でも行くか」と母に言った。
    母は即効で断った。
    そして、「行くなら一人で行って。切符もホテルもあなたが手配しなさい。
    着替えも自分で用意して持っていって。そのくらい一人で出来る年ですよね」
    と冷たい口調で言った。
    母が父に対してそんな風に言うのは初めてで、父も私もポカンとなった。

    あとで母に聞いたら、私が無事就職して独り立ちしたら
    この家を出て行くつもりだって言われた。
    離婚はしてもしなくてもどっちでもいいし、何ならちょっとくらい慰謝料払ってもいいけど
    とにかく定年後の父と一緒にいたくないんだって。
    そう思ったきっかけが例の解散済みグループのことだと知って驚いた。
    きっかけというかコップの水が溢れる瞬間がそれだったってだけだと思うが
    とにかくあの時期に「ああもうこいつといたくない」と強く思ったんだそうな。
    母は資格持ちだし、定年退職後も働き口はあるから
    離婚も別居も反対しないよとだけ言っておいた。
    しかし嫁姑戦争にも借金にも耐えた愛情?が
    これで壊れたのかーと、なんだか複雑。母のためにはいいんだろうけど。

    468 :プリンはのみものです。
    私の母は素で「子供のものは親である自分のものだ」と思っている。
    私と母の部屋は隣同士なんだが、手元に書くものがなければ私の部屋の引き出しから勝手に持っていき、
    教科書やノートを開くと、母の走り書き(メモ的なもの)があるのは日常茶飯事だった。
    学校で借りた本も、小遣いで買った漫画本も、断りすらなく持っていったり人に貸したりする。

    でも毒親ではなく、欲しいものは理由があれば買ってくれるし、父と対立すると大体味方になってくれる。
    私のなりたい職業にも理解はあったし、学校帰りに迎えに来てくれたりすることも多かった。
    でもどうしようもなく、私のものを勝手に持っていったり使ったりする。

    小学生の頃は「それが普通」だったからたまに文句言う程度だったけど、
    中学生になって、友人の家に遊びに行ったりするうちに「私の母はおかしいんじゃないんだろうか」と思い始めた。
    母に「私のものは私に使わせてほしい」と言っても「家のお金で買ったものだから私が使うのは当たり前でしょ」と私が反抗期であるかのように諭してくる。
    父に相談しても、父は実害がないせいか「母さんの言うことに従いなさい」というばかり。
    私の通学用の自転車をスーパーに置き忘れてきたり、下着を兼用しようとしてきて、「これはやばい」と思い本格的に対策をし始めた。

    最初は部屋に鍵をつけようとしたんだが、父の大反対に合い、話し合いも空しく却下された。
    そこで、学校で使うものは学校に置いておき、復習や宿題なども放課後に学校でやってから帰った。
    誕生日に鍵付きの金庫を買ってもらい、通帳や金銭類、携帯ゲーム機などはそこで保管した。
    幸い友人には恵まれていたので、近所の友人宅に一緒に自転車を置かせてもらったり、
    金庫に入りきらないゲーム機などは自由に遊んでいいことを条件に友人に預けた(その子の親の了解済み)。
    今思うと友人間のトラブルの種になりそうなことばかりだけど、ほんといい友人ばかりで、問題が起こったことは一切なかった。

    高校に入り、私と母の体格が似てきたことで、今まで被害がなかった洋服類にも被害が及び始めた。
    これはクローゼットの取っ手に南京錠をかけることで対処。通学鞄もそこに放り込むようにした。
    時々友人が遊びに来たが、みんな私物がほとんどない部屋に驚いていた。

    大学進学時には迷わず県外大学を選択、一人暮らしを始めた。
    その際に友人に預けていたものを全て引き取ったんだが、一部の漫画本やぬいぐるみ等は持っていくことができず、実家に置いておくことにした。
    次に帰省した時、置いて行ったものは大体なくなっていた。
    大学卒業後もなんだかんだと理由をつけ、一人暮らしを続行。
    離れて暮らしているうちに、「あれ、私の親はそこまで以上じゃなかったかもしれない」と思い始めた。
    定期的に私の希望に沿った仕送りをしてくれるし、それなりの距離を保って接してくれる。
    「あの頃は私も思春期だったし、思い込みもあったかも」と今まで避けてきた長めの帰省をしてみた。
    帰省した翌日に、私のスマホを勝手に持っていこうとするところを目撃し、今までの対策が間違っていなかったことを実感した。