904: プリンはのみものです。 2011/06/26(日) 16:02:41.47 0

    スレチになってしまうかもしれないのだけれど。

    この間三年半ぶりに実家に顔出してきた。目的は新兄嫁さんへのご挨拶。
    自分の仕事が忙しく、挨拶どころか結婚式すらぶっちぎってしまったので今回が初対面だった。
    メンバーは母・兄・新兄嫁さん・私。親父は出勤中。
    母が来客応対中で離席していた間、ドラマの再放送に夢中な兄を放置して私と新兄嫁さんだけでお話していた。
    新兄嫁さんに「義母さんは凄い人ですね。収入も義父さんより上で、家事も完璧で、
    老後の為の貯蓄もしっかり。私ったら何をとっても適わないわ。見習わなくちゃ」とお世辞を言われた。
    ので、本当のことを教えてあげた。

    299:プリンはのみものです。2014/09/23(火)09:33:34ID:nQUZT0s69
    これって自分も共犯なのかな。
    自分が幼稚園の頃だからもう20年ぐらい前の事なんだけど、その当時うちは父母私妹、それに父祖母と住んでた。
    父祖母は足腰はだいぶ弱ってたんだけど口は変わらず達者で口調もキツイ。
    私にもあれしろこれしろ!勉強なんかより腰を揉め足をさすれ!と命令してくるので苦手だった。
    私相手でこんな感じなので母相手になるともっと酷かった。
    ちなみに父は介護は女の仕事、男は稼ぐのが仕事って人だったから手は全く出してなかったと思う。
    父祖母は足腰弱ってると言っても杖を持てばゆっくりでも歩けたのにわざとベッドで漏らして母に片付けをさせたり母の作ったご飯を口に入れてそれをわざとブーッと撒き散らしたり、その頃は言葉を知らなかったけど嫁イビリしてた。
    母はかなりストレス溜まってて私や3歳の妹に八つ当たりする事もあった。すぐ謝ってくれるけど。
    ある時私がトイレに行こうと父祖母の部屋の前を通ろうとすると部屋の中から「うぅ...あぅ...」みたいな呻き声が聞こえて部屋をチラッと覗くとベッドの上で苦しんでる父祖母の姿があった。
    私は急いで母を呼び、母は私に妹を見てなさい。と言って1人で父祖母の部屋へ。
    すぐ戻ってきてお出かけしよう、ご飯食べに行こっか!と準備を始めた。
    「おばあちゃんは?大丈夫だった?」と聞くと、「うん、大丈夫だよ大丈夫。」と母は笑ってた。

    197:プリンはのみものです。2015/10/08(木) 23:45:59.22 0.net
    父方の従兄の結婚式で一家が地獄に突き落とされた話。

    勘違いで式場に早く着きすぎた俺家族。
    父と俺(当時、中3)はロビーのソファでゲーム、
    母と姉(当時、高2)はホテル内を散策すると言ってどこかへ行ってしまった。

    1時間ほどで従兄一家がやってきて、
    控室に向かう途中で「ドロボーっ!!」と悲鳴。
    従兄が新婦の声だと言うので、
    従兄と脚の速い俺が悲鳴のする方向へ駆けつけると、
    新婦が泣きながらドアの入口に座り込んでいた。
    部屋の中には新婦のウェディングドレスを着た姉と、「大げさねえ」と笑う母。
    従兄は「何してるんだ。早く脱げーっ!」と叫びながら、姉を往復ビンタ。
    母と姉は「何も殴ることないでしょ」と逆切れ。

    後からやってきた父は「ちょっと借りただけなのに」
    とふてくされる母と姉をビンタし、新婦父に土下座。
    母は「覚えてらっしゃい、離婚よ、離婚!」と絶叫するも、
    伯父(父の長兄)に殴られ、しぶしぶ土下座。
    姉は伯母にドレスをはぎ取られ、ブラとパンツ姿で土下座させられたが、
    全く反省している風でない。

    「このような親族をお持ちとは、この結婚は考え直させていただく」
    と新婦父の怒りは収まらず、
    「もうこのドレスは着たくない」と新婦が号泣したため、
    新婦の急病ということにして結婚式は中止で、食事会になった。

    母と姉が事の重大さに気づいたのは数日後。
    父の会社の大口顧客であった新婦父が
    母と姉がしでかしたことを理由に取引を停止したため、
    父はかろうじてクビは免れたものの、降格、減給。
    退職まで閑職に追いやられた。

    父が母に離婚届を突き付け、姉と二人で実家に帰るように言った。
    父は俺を引き取るので姉の養育費は相杀殳して払わない、
    母と姉のせいで中止になった結婚式の費用や慰謝料を払うから財産分与はない、
    という条件を俺たちの前で説明した。

    専業主婦だった母は父に捨てられたら暮らしていけないとすがり、
    パートして家計を助ける条件で再構築。

    622 :2014/10/16(木) 22:36:46ID:BYs4hAF7E
    乳児の頃に両親離婚、父親蒸発、母育児放棄で祖母と叔父夫婦に育てて貰った

    母はちょいちょいお金をせびりに祖母達の所には来ていたけど、私の事は無視か殴るだけの人だった

    高校進学、更に大学受験時期には進路やお金に関する事で色々悩んだが
    (親子で疫病神的な感じだったので)
    どうしても行きたい大学があり、祖母と叔父夫婦に頼み込んだところ
    奨学金を借りて基本的な生活はそれで賄う事、そして入試で奨学生になれるなら入学時に必要な分は出してやる、と言って受験させてくれて、無事推薦入試で奨学生になれた

    高校の担任も事情を知っていて色々調べて教えてくれていて、合格したときはとても喜んでくれて嬉かった

    そしてある日、母が怒鳴り込んで来た

    「私子にそんなお金かけるなら私に頂戴!!」

    私は、あの時あの言葉を私の前で言った母と、泣き出す祖母、何も言わずに俯いた叔父夫婦の姿を一生忘れないと思う

    そして、呆然としている間に「諦めなさい」と言われた事も。
    もう、誰に言われたかも覚えていない
    深く自分の環境を恨んだ
    人生最大の修羅場だった

    ただ、いきなり就職すると言った私に驚いて、祖母達に会いに来て説得してくれたらしい先生に感謝している(最近同窓会で聞くまで知らなかった)

    今はそれなりに暮らしているけれど、大学行けなかった事は一生恨むと思う、どうやったら乗り越えられるのか未だにわからない

    3: プリンはのみものです。2014-04-04 01:51:33
    事情があって三ヶ月前から親と同居してる。
    そうしたら、妻の愚痴が増えた。
    母と話す機会も増えたけど、母もなんだか愚痴っぽい。

    帰宅して、妻の愚痴きいて、母の愚痴聞いて、ご飯食べて
    妻の愚痴聞いて、風呂入って、呼ばれて母の愚痴聞いて
    また呼ばれて妻の愚痴聞いてるうちに一日が終わる。

    仕事で疲れてるのに、家で全く休めてない。

    40:プリンはのみものです。2012/09/18(火) 18:32:19.79 ID:xdvzAZU2
    以前、働いていた会社でのこと。
    私は社内外のネットワークを主に担当してたんだけど
    よく他部署の課長が割り込みで仕事を依頼してくることがあった。
    基本的に、自分の部署での仕事がメインで、他部署の仕事は
    自分の部署に依頼書を出してもらってから引き受けるシステムだけど
    他部署の課長はそれをまったく無視。
    「依頼書出してからお願いします」と頼んでも、「後で出すから
    取り敢えず急ぎだから来て」と言われることしばしば。
    平社員の身分なのでそうそう断ることも出来ず、引き受けてたのも
    ダメなんだろうけど、自分の部署の上司に相談しても
    「困った人だね~」で終わるだけだった。

    ある日、母親が倒れて緊急手術することになった。
    夜間に倒れて連絡が来て、そのまま翌日朝から仕事を休んで付き添ってた。
    病院からは「助かる可能忄生が低い」とか「今夜が山場です」みたいなことも
    言われていた。
    会社支給の携帯は電源切ってたけど、プライベート用の携帯のみ
    親族との連絡用に電源を入れていた。
    手術前1時間くらいだったか、電話がなり出ると件の課長だった。
    どこそこのお客さんがトラブルで今すぐ出てこれないかと言われ、
    親が危篤でこれから手術します、無理です、と断ったら。

    「その手術、今すぐじゃないとダメなの?伸ばせないの?
    付き添ってたって助かる時は助かるんだし、いなくてもいいよね?」

    それがきっかけで会社辞めました。


    前編はコチラ



    32:プリンはのみものです。2012/11/29(木) 19:51:35.75 0

    一緒に暮らし始めてから半年ぐらいで
    その男に連れられてその男の故郷に引っ越すことになってしまった。

    北海道根室市。
    丁度私が小学校二年から三年に上がる直前の春休みに引っ越した。

    共同の玄関で靴を脱いで各々の部屋へ、トイレは共同のものが外にあり風呂はない、
    という古い造りの木造アパートだった。
    こんな寒い所で冬場に銭湯まで歩くのはイヤだ、となってすぐ引っ越し。
    風呂付き一軒家の借家だったが台所の床が明らかに傾斜していた。

    このへんまでは母のお相手はまあまあ大人しい男だった。
    しかし、地元に戻って飲み歩きを覚えてから雲行きが怪しくなってきた。

    10:プリンはのみものです。2012/11/29(木) 17:46:18.85 0

    思い出せる限りで一番古い記憶は爺さんの葬式だった。

    当時、私は両親と姉の四人で暮らしていて
    列車で30分位離れた所に母方の祖母が住んでいた。

    祖母の家には祖母の他に半分寝たきりみたいな婆さんが住んでいて
    祖母をこき使っていたが祖母は誰にも愚痴一つこぼさずにその婆さんの言うことを聞いていた。

    その婆さんは、祖母の所を訪れた私や姉に
    ことあるごとに『あんたらの婆さんは、爺さんを私から盗った』と話した。
    そんなことを言われても子供に理解できるような話ではないし
    子供の感覚ではそもそも知ったことではないので
    その婆さんは私たち子供にとっても母にとってもうっとうしい存在だった。

    784 :プリンはのみものです。 2014/11/19(水) 17:33:57 O.net
    後味悪いので注意

    私は自分の名前があまり好きではなく、10年と少し前に成人したのを機に改名した。
    いわゆるDQNネームとかキラキラネームではないんだけども、花子(えみ)といった感じで漢字とふりがながそれぞれ別の名前になっていた。
    だから間違われてばかりの人生で、うんざりしていたので親に黙って改名した。
    親に名前について文句を言った時、「いい名前じゃないの」と返されたこともあって親には絶対に反対される!と当時の私は勝手に親をDQN扱いしていた。

    そうして改名(漢字とふりがなのうち片方に合わせるという形)したんだけども、改名したことを親に伝えたら母が狂った。
    激怒とか号泣とかじゃなく、ただただ狂った。
    「ごめんなさいごめんなさい」と狂ったように繰り返した。
    それまで普通のどこにでもいる母だったのに家事も仕事もできなくなって自傷行為を繰り返しながら引きこもるようになった。
    鉛筆とか化粧用品でも無理矢理傷口をぐりぐりするので家の中からいろんなものを捨てた。

    父から聞いたんだけども、母にはふたりの姉がいて私が生まれる前に母と三人で交通事故に巻き込まれて亡くなったんだそう。
    その際にふたりは見るも酷い状態になっていたとかで、当時の母は今と同じ状態になったとのこと。
    そして私の名前はふたりから取ったものだった。母の姉の存在は知っていたけども名前までは知らなかった。
    私を姉ふたりと重ねているわけではなかったんだけども私の名前は「拠り所」のようなものだったらしい。
    当時、母は姉ふたりからしか愛されておらず、両親や親族は姉ふたりだけを溺愛して母を虐げていたのも母が狂うに至る一因だろう、とのこと。
    すっかり普通のお母さんだったので父も母が未だに立ち直れずにいるとは思わなかったそう。

    その後母は帰らぬ人となって、父も母を助けられなかったと悔いてそのまま事故タヒした。

    何故改名したのか、何故名前の由来を聞かなかったのか、聞かれなくとも教えてくれてもよかったのではないか。
    自分と父、母を責めて責めて責めてばかりの10年でした。
    これからもこのままなのかな、と思うともう疲れた。

    ごめんなさい

    784:プリンはのみものです。2007/01/23(火) 09:55:40 ID:8+Q/1yHV
    去年の夏の話。

    夏休みだった事もあり、かなり遅い時間まで起きていた。2時になり、
    流石に寝ようと電気を消してベッドの中。でも寝れなくてまどろんで
    いたら、急に私の家の隣にある駐車場から喚き声とかブシューッって
    感じの音がしててかなり煩かった。なんだと思いそっとカーテンを
    めくって見てみると、なんと高校生(制服きておったよ)3人がその
    駐車場で花火をしてた。しかもロケット花火で、なぜか我が家に向けて
    花火を打っている。「え??」と思い、驚いてなにもできずにいたら、
    階下で寝ていた母がベランダにある流しからホースをひっぱり、そいつらに
    無言で水をあびせてた。そいつらはワーワーキャーキャー言いながら去って
    いった。次の日母に、「夜すごかったね」といったらどうやらどれだけで
    はなかったようで、朝になり起きてすぐにそいつらの制服を見てどこの学校
    か分かったので、学校に通報。あと警察にも厳重注意をして欲しいと通報
    したらしい。

    ここに書かれてる武勇伝と比べるとそんなでもないけど、
    母GJ!って思った。