プリンはのみものです。|にちゃん生活まとめ

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    幼少期

    748 :プリンはのみものです。2012/03/02(金) 01:03:32
    もう何十年も前の話だけど、最近ようやく母とこの話ができたのでカキコ。
    子どもの頃、父は仕事で何日も家で眠れなかったり、帰って来てもすぐ呼び出されて出ていく
    ような忙しさ、自分は年の離れた末っ子長女で、兄が母親にべったりだったせいか、
    一人で遊んで自分勝手で、家を勝手に出て行き、派手な迷子(家を脱走し、
    5キロ・10キロ先の交番とかで保護されてる)に何度もなる子どもだった。

    小学校にあがるかあがらないかぐらいの時、何かでスカートを履くのが嫌になった。女の子らしい
    格好もせず、兄のおさがりばっかり着るようになった。母は念願の女の子なので、かわいらしい
    オシャレがさせたかったのに、生まれたのはガサツで逃亡癖がある、男らしい格好ばかりする
    問題児。母も限界にきたんだと思う。
    ある日、私が小学校の入学準備で買った、制服のスカートを嫌がって、泣き喚いて暴れた瞬間、
    「もう限界」みたいなことを叫ばれて、母に家を追い出された。家に戻っても、母は壊れてた。
    多分今思うと鬱みたいなものだったと思うんだけど、家事全部放棄して、こたつで寝たままで
    トイレ以外起きなくなった。私だけでなく兄も無視。兄は私のせいだと殴る蹴る。
    私は泣きわめくんだけど、母は無反応で助けない。
    何日かして、父が家の惨状に気づき、子どもだけで親戚の家にやられた。途中で兄達は
    戻っていったけど、私だけはしばらく親戚の家から幼稚園に通ってた。
    (今思うと自分でもひどいと思うけれど、私は親戚の家でも何ら変わりなく過ごしてた)

    486 :プリンはのみものです。 2016/03/29(火)13:07:40 ID:bba
    私は子供の頃、すごく太っていた。家族全員デブだった。
    食事は毎回苦しくなるまで食べる、常に家にお菓子があって間食し放題、空腹にならなくても満腹じゃ無くなったら何か食べていた。
    週4〜5回は外食で、安いビュッフェやファミレスで大量に注文していた。
    例えばサイ○リアに行くと、スープ+ドリア+ハンバーグ+デザートで1人前。さらにピザを頼んで皆で分けたりしていた。
    家で母が作るときも、パスタや揚げ物ばっかりで野菜はほぼゼロだった。もちろん量はかなり多い。
    父の収入はそこそこ良かったがエンゲル係数が異様に高く、食以外にはお金をかけなかった。
    当然の如く私も姉も妹もデブになった。
    他人の食べ物を奪ったりはしなかったが、かなり食い意地は張っていて小遣いは全てお菓子に費やした。
    そんなサラブレッドデブな私に転機が訪れた。
    小学5年生のある日、近所のYちゃんと登校していたとき
    私「昨日Yちゃん誕生日やったんやー。ケーキとか食べた?」
    Yちゃん「ううん、食べてない。ご飯も普通に野菜炒めやったよ。」
    私「えっ!?誕生日やのに!?」
    自分にとって誕生日=ケーキ&ご馳走の日だったので、かなり衝撃だった。しかも野菜炒めなんて我が家では罰ゲームメニューだった。
    Yちゃん「本当はケーキ買って家で焼き肉する予定やったけど、妹が雑貨屋で買い物するのに時間かかって店閉まってしまってん。」
    さらに衝撃。もし我が家で同じことが起きていたら、収拾がつかない程の姉妹喧嘩になっている。
    Yちゃん「でも妹は私のプレゼント買うのに時間かけてくれたんやし、焼き肉とケーキは今度する約束やからいいねん。」
    三度目の、一番キツイ衝撃だった。
    この瞬間、自分が如何に卑しいみっともない人間かを自覚した。
    食べる事しか考えず、ぶくぶく肥ってニキビもできていて
    服は入れば良いとしか思ってなかったからダサいぶかぶかの物で、髪は母に切って貰っていたからぼさぼさで
    目の前の可愛い服を着た髪の長いYちゃんと比較すると消えたくなった。
    それまでクラスの男子にデブとか豚とかからかわれても開き直っていたけど、急に恥ずかしくなった。
    とにかくこのままじゃ駄目だと思い、母に相談するも取り合ってくれなかった。
    なので保健室の先生に相談すると、適切な食事量や運動について教えてくれた。
    『苦しくなるまで食べない、野菜を食べる、甘いお菓子やジュースばかり買わない、ゲームばかりしない』
    等々、当然の事がそれまで一切頭に無かった。
    それから自分なりに頑張ってみた。
    外食では野菜をしっかり食べて量も減らす、間食はしない、家のご飯は幸い大皿料理ばっかりだったので量の調節が出来た。
    毎日家で縄跳びをしたり、友達とジョギングしたり。
    お小遣いは食べ物じゃなくて美容院で使い、ちゃんとした服も買ってもらった。
    中学生になるとバレー部に入り、中二になる頃には標準体型になった。
    どんどん痩せていく私を心配した両親に、何度か病院に連れていかれた。
    完全な健康体だった。むしろ親が生活習慣病について説教されていた。
    妹が思春期になると、自分も痩せたいと言い出したので全力でサポートした。
    2年かけて標準体型になった妹はビックリするほど可愛くなった。
    姉は相変わらずだったけど、職場の健康診断で色々引っ掛かったらしく去年からダイエットをしている。
    久しぶりに会うと順調そうだ。
    両親は心配だけど、老後の資金は貯めてるし子供達に迷惑はかけないから好きにさせて欲しいそうだ。

    149: プリンはのみものです。 2015/03/18(水) 17:20:28.33 ID:EJKhP41x

    物心ついてから20歳までずっと体調不良だった。その原因がわかった時が修羅場だった。

    症状としては、とにかくだるい。内臓がだるい。あと食後の吐き気。
    胃腸のどっかが悪いはずと中学頃まではあらゆる検査をした。
    でも異常なし。親にも仮病を疑われるし、だんだん総合病院の先生にも相手されなくなって精神科?にまわされた。 
    精神科ではなにか悩みがあるの?学校行きたくないのかな?とか的外れな質問ばかりされたときも心が修羅場だった。
    気持ちが楽になる薬とかだされたけど、一日数回襲ってくる異常なだるさと吐き気以外は悩みないから必要ない。
    でも飲まないと病院つれてってくれる親に申し訳ないので、大量の水で飲んで自室でティッシュにはいてた。

    高校では保険の先生と担任にめぐまれて、一生付き合っていく覚悟決めろと背中押してくれた。
    だるさの中、3年間粛々と勉強やって、大学に進学してなんとか一人暮らしはじめた。
    でも一人暮らし始めたら症状悪化した。サークルも入れず、またなんとか勉強して単位取るだけの日々。
    2回に上がったころ、吐き気のほかに蕁麻疹がでだした。どんどん悪くなる、就職とか絶対無理だけどニートなるくらいなら氏にたいとか考えるくらい追い込まれた。
    でも結果的に蕁麻疹のおかげで原因が判明。

    原因は米アレルギーだった。

    一人暮らしはじめて体調が悪くておかゆばかり食べてたんだけど、食後ひどくなってだんだん引いていく蕁麻疹見てまさかと検査したらビンゴだった。
    私のために健康的な和食を毎日作ってくれた母。
    体調悪いときも、食欲がなくても、一口でもたべて健康になりたいとお米を口に運んでいたことが毒になってたと思うと今でも修羅場。
    青春の大事な部分をいろいろスルーしてしまったけど、ぎりぎり就活に間に合ったのでまぁよっかったのかな。。。

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