プリンはのみものです。|にちゃん生活まとめ

2ちゃんねるの生活板全般、カテゴリ雑談板のスレをまとめたサイトです。記事内には不快にさせてしまう内容も含まれると思います。その際はご了承下さい。

    ネチネチ

    590: 1/2 2006/07/05(水) 23:14:33 ID:h1DAB0NZ

    武勇伝というより、窮鼠に噛まれた猫がびっくりして逃げただけの話かもしれんが…

    中学の頃いじめられていた。
    相手はクラスで一番体のでかかった男の子とそのお取り巻き。私は女。
    きっかけは、手の病気で利き手が使えなかった時期があって、
    試験の時とかに(利き手が使えないから)
    便宜を図って貰っていたりしたのをえこひいきだと言われた事。

    男→女のいじめだったせいか殴られたり蹴られたりはしなかったけど
    主に言葉の暴力と妨害で、例えば登校すると「手袋登校ー」
    (利き手が包帯でぐるぐる巻きの上に手袋形のサポーターをしていた)
    「あーあ、また来た。いいかげん転校しろよ」
    「こないだ欠席した時はとうとう辞めたかって思ったのになー」
    と指を指され
    リレーで走れば「コケろ!ビリになれ!これ以上走るな!」と野次が飛び、
    文房具や教科書は持って行かれて捨てられるといった具合。
    女の子達とは普通にやっていて、皆
    「病気をからかうなんてひどいよね」と同情的だったけど、
    いじめの中心人物が体が大きくて強面だったので
    表立って加勢までする子はいなかった。
    手の病気が治った後もいじめはしつこく続いた。
    「バカの相手する奴がバカ」と自分に言い聞かせてシカトしてたけど
    内心かなりきつかった。

    893: プリンはのみものです。 2014/09/26(金) 13:20:25.20 0
    もうだめだ離婚なりそう
    でももういいや
    爺に隣の綺麗な奥さんと比べられて
    ずっとネチネチ言われてたの

    それでもう腹立って

    お隣さんは専業で時間あって、それでいて
    おこずかいももらってエステ行ったりで
    旦那さんは優しくて家事も手伝ってくれて
    庭の手入れもやってくれて羨ましい

    婆は共働きなのに家事も介護も押し付けられて、
    おこずかいもほとんど家のローンで消えちゃう、
    服も買えない
    婆だって隣の旦那さんのほうが良かった!交換してほしい
    って言っちゃったの

    そしたら平手打ち食らった


    629:プリンはのみものです。2007/10/24(水) 11:49:58
    トメにやきそばぶっかけた
    泣いてるが知らん。

    949 :プリンはのみものです。 2010/12/22(水) 17:27:15 0
    コトメが無神経で自己中なので、義実家に行く度に嫌みを言われる。
    (ちなみにコトメは彼氏居ない暦=年齢の30代)
    ウトメ、夫、義兄の前では大人しいが、台所に立った時など、目の届かない
    場所で、私と義兄嫁さんにネチネチ。
    先日、義実家に集まった時に、コトメの嫌み攻撃が始まった。
    私はいつものように、あ~はいはい。とスルーしてたが、突然
    「うっせぇんだよてめぇ。ネチネチネチネチと鬱陶しいんだよ」
    と凄みのある静かな声が聞こえた。
    声の主は義兄嫁さんだったが、普段穏やかな義兄嫁さんの声とは思えず
    コトメも私も固まった。
    「おめぇだよ。この糞小姑。」
    と、とても澄み切った表情で発言なさった。怖かった。
    コトメは恐怖で固まっていたが、その後自室にこもったらしく、居間には
    やってこなかった。多分永遠に来れないだろう。
    ウトメに「またコトメが何か悪さしたのか?」と聞かれたが、義兄嫁さんが
    聞こえない振りしてたので、私も「さぁ、気分でも悪いんでしょうか」と
    とぼけておいた。
    奇麗な人が汚い言葉で罵倒すると、怖いんだな。
    今までコトメの嫌みが鬱陶しいだけで全然怖くなかった理由が解った。


    285 :2015/06/13(土) 01:28:47ID:KsG
    友やめほやほやの話

    私とA子は10代の頃からの10年来の友人
    A子は東京で一人暮らし
    私は名古屋市内の実家暮らし
    A子とはSNSでやりとりはあるものの、2~3年会っていない

    A子が土曜日の午前中に京都に行く用事ができたらしく
    「名古屋を通るよ~、新幹線でw」
    「えー通るなら寄ってよーw」
    という会話をLINEでしていた

    そしたら、金曜日は仕事で京都に着くのが遅い時間になるし
    土地勘ないし、京都で一人で夕飯食べるところも知らないし
    いっそ、名古屋で降りて泊まって、翌朝京都に行くから
    名古屋で久々に一緒に飲もうという話になった
    名古屋から京都は新幹線で35分なので、翌朝出れば問題ないらしい

    ただ、名古屋も土地勘ないから、ホテルをとってほしいと言われ
    急遽、某大手宿泊サイトでホテルを選んで予約した
    急だったので安い部屋がとれなくて、1万円くらいの部屋になった

    予約したことがある人なら知ってると思うけど
    予約者と宿泊者が違う名前でも予約できる
    宿泊費は泊まった人が現地で支払い

    419:プリンはのみものです。03/12/05 17:20

    先ほどちょっとスカっとしたことがあったので書かせてください。

    結婚2年半目の不妊小梨なのですが、ここ1年ほどウトに会うたびに
    「孫を早く云々・・・」とせっつかれてきました。

    どうもウトは内孫にこだわるところがあるらしく、
    治療中だということを伝えてあるにもかかわらずしつこく言われました。
    (特に2人になってしまった時など。)

    主人に話しても「すまないなぁ。」と言うだけで特に何も言ってはくれませんでした。
    ところが、今日たまたまウトの家に義姉(ウトからすれば実娘)がやってきてたのですが、
    さすがにウトは最初は義姉のいる前では私を突っつくことはしませんでした。

    そして義姉が煙草を買いに出かけたのを見計らってからウトは案の定
    孫の話をチクチク言い出したんです。

    ところが、ウトの話を義姉が聞いてしまったんです。

    414: プリンはのみものです。 2018/07/26(木) 10:47:32.68 0.net
    義兄嫁がしつこくてうるさい、そんなんだから一緒にお祭りに行く友だちができないんだよって言ってしまい、泥沼化してうっとうしい 
    今回の件で私も夫も悪いことしたとは思っていないので義兄嫁と子に謝る気も取り持つ気も皆無だと先に書いとく

    地元の祭に行ったら義兄嫁母子に会った(義兄は仕事) 
    ゆかた祭りで和装で行くと色々特典があるので我が家の4人は浴衣と甚平、 
    義兄嫁母子はジーパンで、特典をもらってるうちの子を見て姪が「浴衣が良かった~」とぐずる 
    義兄嫁はぐずる姪を引きずるようにしながら何故か私達と一緒に歩こうとする 
    ゆかた祭り名物で地元の呉服屋さんがB品の浴衣を安く売ってて、その場で着付けてくれる人気のスペースがある 
    姪はサンダル履いてたので、子供の浴衣と兵児帯なら2~3千円でいいのが買えるので教えたら、義兄嫁がブチ切れながら帰っていった 

    後から電話が来て、義兄嫁は財布忘れて祭りに来ていたんだって、私さんが気が利かないのが悪いって文句言われた 
    夫に電話変わったらモゴモゴ言い訳して切ったのに、まつりが済んだ今でも愚痴ってくるのと来週の大きい祭りに連れてけって図々しい 
    うちは子連れで大きい祭りは行かないし、夫が義兄に断ったけど、義兄嫁がまだネチネチ言ってくる

    312:1/32006/09/03(日) 17:42:44ID:wzgWzMxM
    数年前、ツアーでとある国へ行った時のこと。
    集団ビザを管理していた添乗員がそれを紛失してしまい、空港で足止めを食うことに。
    幸い2時間ほどで入国できたのだが、この時からツアー客のデブが添乗員をいじめ始めた。
    添乗員は失敗を取り戻そうと、何事もスムーズには行かない国で一生懸命頑張っていたが、
    デブは連日深夜にホテルの部屋に呼びつけ延々お説教、ちょっとでも手際の悪いことがあるとイヤミ攻撃、
    今すぐパリ行きのファーストクラスのチケットを手配しろと無理な要求をし、
    自分はマスコミの人間だから今回の事態を報道して二度と旅行業界で働けないようにしてやるなどと恫喝。
    (実際には自前番組も持っていないような地方のTV局の社員だった)

    このデブは新婚旅行で参加していて、驚いたことに奥さんは常識のある美人だった。
    何でもお見合いで結婚して数回しか会ったことがなく、しかも遠距離だったそう。
    デブは海外は行き尽くしてしまったのでこんなマイナーな国へ来たと豪語する割にはマナーも何もなく、
    移動のバスの中でお菓子を食べてはゴミをその辺に捨てたり、煙草の吸い殻を世界遺産の中で
    ポイ捨てしたり、無断で他人を撮影したりとやりたい放題。
    他のツアー客は彼ら夫婦に近寄らなくなり、奥さんはどんどん無口になっていった。

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