いい話

    824 :プリンはのみものです。
    俺と嫁は子どもの頃同じ施設にいた
    施設に来る前は、二人とも親からもう少しでタヒんでたくらいの虐待を受けてた
    高卒で就職して二十歳で結婚したが
    家族というものがよく分からなくていつも不安だった
    ある時嫁が妊娠して不安はピークになった
    嫁は虐待の影響でほとんど生理がなくて子どもはできないと思っていた
    それが突然の妊娠で嫁も俺もほとんどパニックになった
    まともな親になんかなれるわけがない、きっと子供を杀殳してしまうと思った
    俺は怖くて最低だがおろしてほしいと嫁に言った
    嫁も怖がっていてそうするしかないよねと言った
    でも嫁は迷っているようだった
    そんな嫁を見ていたら俺もどうして大好きな嫁との間にできた命を消さなきゃならないんだろうと迷いが出てきた
    でも絶対に不幸にする、ひどいことをしてしまう、親と同じになってしまう
    そればかりぐるぐる考えていた
    結論がでないうちに嫁が倒れて病院に運ばれた、切迫流産だった
    俺の会社の社長が病院に来てくれて
    俺は思わず社長に打ち明けた
    自分たちが親になれる人間ではないこと
    でもおろす決断もできないこと
    そしたら社長は、自分が見張ってて親としてもう駄目だと思ったらすぐに子供を引き取って責任をもって育てると言ってくれた
    例えば俺たちが子供を虐待したり、親として失格だったりしたら
    子供を杀殳したりひどい目にあわせたりする前に子供を守ってくれると言った
    言葉だけじゃなくて、社長の奥さんにもちゃんと話してくれた

    847:プリンはのみものです。2006/01/25(水) 16:43:06
    俺の嫁さんは寝ている時にうなされる事が多々あった。
    その話をしたら、幼い頃から精神的な虐待を受けており(主に母親から)
    夢にまで見てしまうということだった。
    大丈夫か?と聞いても、平気だから。とそれ以上は話してはくれなかった。

    それから少しして、嫁さんの妊娠が判明。
    妊娠を知った嫁さんの母(俺から見たら義母ですね)が様子を見たいと
    言い出し、我が家にやって来た。
    だが義母の口から出るのは自分の娘が、いかにダメな子だったかという話ばかり。
    義母「情けない、気が利かない、話もろくにしてくれない。
       何を考えてるか分からないような子でね。私も苦労したのよ。」
    義母「子供をちゃんと育てられるかしらね?
       夫君、あなたが娘や生まれてくる子を守ってやってね。」
    嫁さんを見ると黙ったまま、うつむいていた。俺は我慢できなくなった。
    俺 「義母さん、嫁子はしっかりやってくれてます。感謝してるくらいです。
       もう干渉するの、やめてくれませんか?昔の話もいりません。」
    義母「ハァ?ああ、かばってくれてんのね、いいのよー、気を使わなくても」
    俺 「守ってやって、とさっきおっしゃいましたよね?
       義母さん、嫁子を傷つけてるのはあなたです。わかりませんか?」
    義母、顔が真っ赤になり、ワナワナして「こんな所、二度と来ないわよ!」。
    「一度言った事は守って下さいね。」と、そのままお帰り願いました。
    自分ではスカッとしたけれど、嫁さんが気になり、恐る恐る聞くと
    「ありがとう。すごく楽になった。これで良かったと思う」とのお言葉。ホッとした。
    自分では「言ってやった!」とすっきりしてるけど、他の人から見たらDQNだろか。

    133:プリンはのみものです。2015/01/31(土) 18:04:58.65ID:udEwxOmI.net

    小学生の頃、親から今で言うネグレクトをされていた。
    学校が夏休みに入って頼みの給食もなくなり、家に何日も親がいない状態。
    食べるものも無く、4日間水以外何も口にしていないという頃
    「このままではタヒぬ」
    と思って意を決して家を出た。


    体力も無くてフラフラの状態だったが無我夢中で、
    家から少し歩いたところにある文房具屋に入った。
    何故そこに入ったのかハッキリとは覚えてないけど、
    とりあえず大人がいる建物に入らないとと思ってたような気がする。
    文房具屋の店主の爺ちゃんは自分を見てビックリしていたけど
    「食べる物ください」
    と訴えたら店の裏の自宅に連れて行ってくれた。
    中には婆ちゃんがいて(やっぱりビックリしてた)、
    爺ちゃんが
    「今すぐなんか出してやれんか」
    と言うとパタパタ台所に行って雑炊を作ってきてくれた。
    夢中で食べてすぐに平らげてしまって、正直味なんて全然わからなかった。

    食べ足りないと思ってたところに、婆ちゃんがお菓子を出してくれた。
    そのお菓子があまりに美味くて、この世にこんなにうまいもんがあるんだと
    それがとにかく衝撃的だった。
    サンドイッチのお菓子バージョンみたいな感じで、
    パンがスポンジケーキ、中身が羊羹だった。
    当時はスポンジも羊羹も勿論、甘いものすら食べた記憶がなかったから
    美味しさで頭の中が軽いパニックになった。信じられなかったよ。
    2つ出してくれてたんだけどこれもすぐに食べてしまったら、
    追加でもう1つだしてくれた。
    それを食べたところでようやく落ち着いて、風呂にも入れてもらった。
    垢がボロボロ出る俺を爺ちゃんが一生懸命洗ってくれた。

    あの時のあのお菓子もう一度食べたいけど、
    スーパー探し回ってもなかなか見つけられない。

    277 :プリンはのみものです。2016/07/19(火) 10:24:38ID:G4E
    職場のパキスタン人がやたらトンカツ・カツ丼について聞いてくる
    なんでも駅にある定食屋で凄く気になってるが豚だから食えないらしい
    あまりにうるさいから家に呼んでチキンカツ丼作ってやったら毎週くるようになった
    面倒くさいから作り方教えても毎週来る。いつの間にか仲間が増える。気づけば毎週金曜日は俺の部屋でチキンパーティーが開かれるようになった。金はもらった
    そんなことをしでかしたパキスタン人が帰国してだいぶ経つが、今では地元でチキン料理を出す店を経営し繁盛してるらしい
    お前自動車整備学ぶためにきたんじゃねぇのかよ

    まとめでカツ丼の誘惑に負けそうになるパキスタン人の話よんで思い出した

    504 :プリンはのみものです。 2014/04/21(月) 10:37:24 ID:ODV0UB1B0
    息子を産んだら瞳が青に近い灰色だった
    旦那も私も日本人で瞳はよくある黒褐色で青の要素はない
    初めて気付いた時、どうして青色なの日本人って青い目の遺伝子あったっけとパニクった
    しかし付き添ってくれてた義母が息子の目を見てとびっきりの笑顔
    「あらぁ、私のお祖父ちゃんと同じ色ねえ」
    義母のお祖父さんがヨーロッパの方の人だったとそこで初めて聞いた
    知らなかったから驚いたけど隔世遺伝って本当にあるんだね
    青って劣忄生.遺伝らしいのでものすごく珍しいけど

    196 :プリンはのみものです。 2016/08/11(木) 20:13:21 .net
    嫁母がメシウマ
    嫁は女姉妹で俺は男三兄弟の家族構成
    結婚前に嫁実家で嫁母料理を食べた時、小皿で何品も出てきて驚いたのな
    実家だと大皿早い者勝ちだったし、肉肉肉だったしでさ
    嫁父は食の細い人だそうで、俺がたくさん食べるのが嬉しいって喜んでくれて
    結婚したらこんな家族になるんだろうな、なんて思ってた時代が俺にもありました

    なんかデロデロした茶色いスライムに包まれたしょっぱいナスと肉が大皿にどーん
    その上にハーブのはっぱがわっさー
    それと白米が今晩の夕飯です

    102 :2015/09/23(水) 09:36:28ID:c5C
    高校生の息子が人助け?をしていた。本人は自覚無いけど。
    中学の頃太った息子が高校に入ってから早朝のウォーキングを始めた。
    途中の公園でラジオ体操とかをしていたらしく、そこで一組の親子と出会ったらしい。
    娘さんはイジメによる不登校児で、人気の少ない早朝に母親(たまに祖父母)と散歩をしていて気分転換をしていたそう。
    初めの頃は息子が挨拶をするだけだったが、その内向こうからも挨拶をするように。
    それが段々と日常会話をし、娘さんからイジメの話を聞き、休日に勉強を教えるようになったらしい。
    娘さんは2学期から登校するようになり、ご両親が先日お礼を言いに来た。息子は礼は要らないと言っていたそうだが、祖父母のネットワークで我が家の場所を知り来たそう。
    今年に入ってから休みの日に出かけることが多くなったなぁとは思っていたが、まさかそんな事をしているとは思いもしなかった。
    息子に何故言わなかったのかを聞いたら、「言うほどの事でもないから」となんとも気の抜けた返事をされた。不登校児に勉強を教えることは言うほどの事だろうよ。

    125 :2017/10/10(火) 14:32:34ID:lrG
    義父を5年間介護して最後は施設で看取ったんだけど
    義姉は海外を飛び回るような仕事をしてて実家には正月くらいしか戻らない人だったから
    介護はほとんど手伝ってもらえなかった
    でも介護費用を全額負担してくれたし
    自宅で看てた時もお金なら心配しなくていいからヘルパーでも家政婦でもじゃんじゃん雇ってねと言ってくれた
    たまにお見舞いに来た時は必ず私に「いつもお父さんがお世話になっています。ありがとう」ってきちんと頭を下げて
    介護費用とは別にびっくりするくらいの額のお金を「家計に入れないでね、お小遣いにして好きなことに使ってね」とこっそり渡してくれた
    義父のお葬式の時も親戚のいる前で手をついてあらためてお礼の言葉をくれた
    口の悪い親戚が「家に帰りたかっただろうに施設でタヒなせてかわいそう」と嫌味を言っていたからあえて言ってくれたのだと思う
    義父の遺産は「世話をした人や家業を継ぐ人がもらうのが当たり前」と言って放棄してくれておかげで家や仕事場を処分しなくて済んだ
    葬儀やお墓の費用もほとんど出してくれた
    家業と並行しての介護は正直大変だったけど身近な親族がここまでしてくれたから
    気持ちの持ちようが全然違った
    義姉は今でもたまに遊びに来て子どもたちを可愛がってくれて
    私のつくる普通のごはんをうまいうまいと食べていく
    へそくりにしなよと相変わらず私にまでこっそりお小遣いをくれる
    ある世界で成功している人だけど
    成功したから太っ腹とかいうわけじゃなくてこういう人だから成功できたんだろうな

    831 :1/2 2015/06/10(水) 06:52:02 ID:3H5
    我が家の猫×2は、旦那の元嫁が拾ってきた猫。
    それ以前に元嫁が拾った猫がすでに2匹いたので合計3匹になったのだが、うち1匹を特に可愛がっていたそうだ。
    離婚する際、元嫁はその1匹だけを引き取り、自分に懐いていない猫×2を置いていってしまった。
    旦那はそもそも猫が嫌いだったので、連れて行かないなら新しい飼い主を探すように言ったそうなのだが、
    「そんな可愛くない猫なんて、飼い主見つからないから」と押し通して出て行ったらしい。
    さすがに4~5年も飼っていると情が移るので、猫嫌いの旦那でも保健所に連れて行くということはせず、
    自分で飼い主を探していたそうだけど、人に懐かない成猫なんて貰い手が見つかるわけがない。

    その状態が1年くらい続いた頃、私と付き合い始めたんだけど、私が猫大好き人間だったので
    「私にその子達ちょうだい!」と猫をもらうことになった。
    同時期に私の勤め先が倒産したりだとか色々あって、「どうせ猫の飼い主になってくれるなら、うちに住めば?」と
    旦那が誘ってくれて、同棲→結婚することに。

    で、猫たちと実際に暮らすようになったのだけど、確かに2匹とも懐かない。というか、むしろ暴君、
    これはどうしたもんかなーと思ってたんだけど、観察してるうちに、2匹ともえさの食べ方や水の飲み方が異常だし、
    吐くときも妙に苦しげにしてるのに気がついた。
    それでなんとか捕獲して、病院に連れて行ったら、どっちも甲状腺異常とか糖尿とかが見つかった。
    甲状腺異常があると興奮しやすいそうで、糖尿とかの体調不良も情緒不安定の原因だったそう。
    私の失業保険3か月分がまとめて飛ぶくらいの治療費がかかったけど、半年後には2匹とも健康に。
    毎日格闘しながらインシュリン注射打った甲斐がありました。

    これは本当にびっくりしたんだけど、健康になってくると、あれだけ荒れてた忄生格がすごく穏やかになったんだよね。
    痛くてつらいのに誰もわかってくれないから荒れてたのかな、と思うと、本当に可哀想で・・・
    全然人に懐かないと思われてたのに、今では膝の上に2匹で争って乗ってこようとするくらい、人懐こくなった。
    そうなると猫嫌いな旦那もだんだん変わってきて、最近では自分から抱っこしたり、なでたりするようになった。
    そんな様子がほほえましくて写真を撮ってやったら、旦那はよほど嬉しかったみたいで、それをFBにアップした。
    暴君猫の話は友人間でも有名だったので、色んな人が「よかったね~」とコメントをつけてた。

    688:プリンはのみものです。2013/10/19(土) 13:27:43ID:y5qMx/lL0

    施設で育った俺は小さいときから親無しだとバカにされてきた。
    高校に上がってからは自立し、奨学金借りたし他に借金もしたが何とか大学まで卒業できた。
    就職して数年し、借金も返しようやく人並みな生活ができるようになったが、俺はずっと施設を怨んでいた。
    施設育ちじゃなければ俺はもっとまともな生活を送れた筈だ。
    俺は施設にずっと復讐を考えていた。そしてこの前ついにやってやったよ。



    一輪車とサッカーボールを無理矢理押し付けてやったwwww
    中古だが児童書を段ボール一杯に送りつけてやったwwww
    さらにガキ共と一日中泥まみれになるまで遊んでやったわwwwwww

    ついでに「結婚するから式に父として出てくれ」って言って園長泣かしてやったぜ!ざまぁwwww
    おい!!ジジイ!!!俺の彼女の手を取って「(俺)君を宜しくお願いします」
    とかうっせーこと言ってんだよ!!!セク八ラだろwwww
    彼女も何で泣きながら「不束な娘ですがよろしくおねがいします」とか言ってんだよ!!!
    落ち着けそれはお前が言うことじゃねーだろ馬鹿野郎wwwwww

    はい。