自分語り

    538 :プリンはのみものです。 2005/06/14(火) 13:17:44
    1 名前: 恋する名無しさん 投稿日: 2005/06/03(金) 14:37:31
    3年前俺は事故で完全に盲目になった
    当時付き合っていた彼女は、普段は俺が大好きだとか愛してるとかそればかり言っていたくせに
    俺が目が見えなくなってしまってから手のひらを返したようにいなくなった
    結婚までしようと俺は考えていたので本当にショックだった。俺はその程度だったのかと
    それからの生活は一変し、気づけば周りの人達は俺から離れていなくなっていた
    はじめは暗闇の中での生活に恐怖を感じていたので周りに気を向けるヒマもなかった
    気づいたころには友人とも付き合いはなくなり、
    元々仲がいいわけではなかった兄もしょうがなく面倒を見てるといった感じ
    そもそもこの事故は前彼女を庇った時に巻き込まれて失明したので、いなくなった前彼女に怒りや憎しみを覚えることすらあった
    今思えばその頃は怒りを向けることで一時的にでも自分のことから逃れられていたのでそれが楽だったのかもしれない
    しかししばらく時がたつとそれすらも億劫になるようになり、毎日ボーっとするだけの日々をすごすようになった
    何かをやろうとしても目が見えないのだから何もすることが出来ない
    一人では何ひとつできることがないのある
    何度もタヒんじゃおっか…とも思った
    けれどそんな俺にも2人だけ頼れる友人がいた
    中学時代からの本当の親友A(男)とB(女)
    嫌なことも楽しかったことも色々あったが、目が見えない中そいつらとの楽しかった日々の思い出だけがいつまでも焼きついて離れない

    495 :2013/10/13(日) 23:28:58ID:8gHM793o0
    1/3
    流れトン切りごめん。復讐としてはプチだけど。
    中学の時、いじめてくる女子グループがいた。
    無視、陰口、家庭環境を馬鹿にする、教科書隠し、持ち物をゴミ箱に捨てられる、
    壊される、机一面に落書きされ彫刻刀で表面をギザギザにされる、運動靴を水で濡らされる、など。
    生理用ナプキンに名前を書いて落とし物コーナーに飾られたり、嫌われてるちょっと気持ち悪い先輩男に、
    私の名前で告白の手紙を出されたこともある(先輩に呼び出されて発覚)。
    最初の三つ以外は証拠がない。そのグループがやってるというのは、
    トイレの個室に入ってる時に奴らが話してるのを聞いたから確実だったけど、
    私のものを隠したり捨てたりしている現場を押さえたわけでもなんでもない。
    一応奴らは、私に証拠を掴まれないようにやっていたようだ。
    ある日、盗まれて買ったばかりの教科書をまた盗まれた。鞄に入れたはずなのに入っておらず、
    忘れたかと教室に戻ってみたがなくて、また盗まれたんだと知った。
    遅い時間で、体育館はまだ明かりがついてたけど教室のある棟は誰もいなかった。
    ふと、今なら誰もいないからされたことをやり返せることに気づいた。
    目についたのは、美術の時間に描いて貼り出されたばかりの絵。
    教卓から黒マジックを取って、奴らグループの絵にぐちゃぐちゃした線を殴り書き。
    怪しまれるかと思い、奴らグループの他に、ナプキンの時にしつこくあれこれ言ってきたヤンキーDQN男とか、
    何人かの嫌な奴の絵にもマジックでぐちゃぐちゃした線を書いた。
    行きも帰りも、誰にも会わなかった。

    353 :プリンはのみものです。
    見合いで結婚した夫は食い尽くし系だった
    見合いと言っても夫が私を気に入り、家の力関係で成り立った政略結婚
    どれだけ毎日の食事が苦痛でも離婚できなかった

    20歳で入籍させられ、娘は21で出産
    私自身がまだまだ子供だったから、子供の離乳食の材料まで食い尽くす夫を止めるすべもなく
    当時コンビニもネット通販もなく、隠しておいた食材も掘り当てられ、私の食事を与えてもなお娘に満足に食べさせてやれず
    母子ともに栄養失調で倒れて入院してから、夫はようやく自分が人の食べ物まで食い尽くしてたんだと気づいた
    それまで何度諭しても理解できなかったことが、目の前で問題となって初めて自覚できる阿呆だった
    それでも食べ尽しの癖は治らず、娘が成長してからも甘味や菓子類や肉類は隠しておいても貪り食った
    私と娘は残ったものを分け合って二人で食べた
    食べ尽しで暴飲暴食を繰り返したからか、16歳年上だった夫は娘の成人前に呆気なく亡くなった



    545 :プリンはのみものです。2013/11/10(日) 09:50:09ID:edeGOxng
    最近のホテルの不祥事なんかを見ると思い出すガキの頃の出来事。

    当時は景気も良くて、月一ぐらいの頻度で家族で通うステーキ屋があった。
    ある日、いつものように食事していると、いつものように給仕長が
    挨拶に来て「お味はいかがでしょうか?」と聞いた。
    オヤジとかは普通に返してたんだけど、俺はボソッと
    「いつもよりちょっとかたいかも」って言っちゃったんだよね。
    そしたらいつも笑顔の給仕長の顔からすっと表情が消えて、
    「ちょっと失礼します」というと、テーブルの上の俺が食べてる
    ステーキを一切れ食べちゃった。
    そして、びっくりして固まってる俺ら家族に
    「そのままもうしばらくお待ちいただけますか?」と言って
    足早に厨房に入っていた。

    分けます

    277 :おさかなくわえた名無しさん 2013/08/04(日) 09:58:11 ID:N0k8Xhy+
    両親から、「妹が結婚することになった。相手の家族との顔合わせを
    予定しているので、都合が良ければ同席するように。」という連絡を受けたので、
    久々に帰省することにした。

    ちょうど俺の方もプロポーズ済みで、先方の両親への挨拶を控えていた
    時期だったので、自分の両親には「俺の方にもそういう話があるから
    帰ってから詳しく説明させてくれ。」ということだけ告げて、当日は
    直に会場(地元のホテル)へ向かった。

    ホテルのスタッフに会場(単なるレストランの個室だけど)まで案内して
    もらったんだが、扉を少し開けて中を覗いたところ、「俺の彼女」がいた。

    取り敢えず扉を閉めて彼女に電話を掛けてみたところ、
    ・確かに同じホテルの同じレストランの個室にいる。
    ・目的は、「彼女の兄」の結婚相手とその家族との顔合わせ。
    ・相手の家族(彼女の兄の結婚相手の兄)が、まだ到着していない。
    ということが確認できたのだが、どうにも扉を開ける勇気が無く、しばらく
    外でモジモジした挙句に思い切って中に入ってみたら、やはり彼女と
    その家族の前に座っていたのは、見慣れたウチの家族。

    自己紹介の際、滝のように汗をかいたことはよく覚えているが、俺がどういう
    台詞を吐いたのか、各々どう反応したのかは、誰もよく覚えていないそうだ。

    久々にウチの実家で妹夫婦と会うので、記念に?書き込み。

    314 :プリンはのみものです。
    40代後半、地方在住。50になってやっと親と離れられる。
    ずっと東京で働きたかったけど一人っ子って理由で反対されて地元で進学、就職結婚。
    結婚したばかりで夫が東京に転勤、ずっと単身赴任。
    子供が独立して子供は上京、夫と子供は東京暮らしになったけど、既に父は他界して、母には一人暮らしも上京も拒否され
    結局、私と母(実母ね)2人で地元で生活。
    私の結婚生活ってなんだったんだと腐ってた所、
    ずっとパートで勤務してた会社から正規雇用の打診があり、本社(東京)異動も希望できると聞いて即異動願提出→受理された。
    仕事ならしょうがないよね〜と親を無理矢理丸め込んでこの度上京します。
    他人から見たら大した事じゃないのかもしれないけど
    親の呪縛、一人っ子の呪いみたいなものからやっと逃れられる。
    私も私の好きなように人生決めても良かったんだよね。
    色々やり直したいけどね。もう人生後半に入ったけどね。遅いかもしれないけどね。

    413:プリンはのみものです。2013/12/02(月) 02:13:34 ID:sleBM9Im
    誰もいなさそうなので今の内に投下
    長いです、ごめんなさい
    携帯からだから改行おかしかったらすみません

    小さい頃に虐待されていたらしい

    私は三人兄弟の真ん中で、歳の離れた姉と年子の弟がいる
    第一子が女だから次は男がいい!→生まれたの女→しかも体が弱い→育てるの辛い
    だけど翌年ついに待望の男の子が生まれた!!
    と思ったら私の後追いや赤ちゃん返りが酷くて母親が育児ノイローゼ
    ・返事が「はい」じゃない
    ・弟を抱っこしているだけで構えアピール
    ・オムツ取れた筈なのにおねしょ
    みたいな事がある→腹立って虐待→後悔、の毎日だったんだって
    父親は育児ノータッチのくせに子供が風邪をひいたり怪我をすると
    「母親のくせに何やってんだ!」
    って責めるから当時は精神的にすごく追い詰められていたらしい

    410 :プリンはのみものです。2018/04/26(木) 18:46:45ID:HAf
    私の母は私が幼い頃に、弟を出産した時のトラブルで他界した。
    母が突然居なくなって悲しくて、私は弟のせいで母がタヒんだと弟を恨んだ。
    母方の親戚から、弟は母親の温もりを知らなくて可哀想。
    事故みたいな産まれ方をしたせいで、身体が弱くて可哀想。
    そんな風に弟ばかり優遇されたのも、弟を嫌う気持ちに拍車をかけた。
    弟は母方の親戚にそうやってちやほやされていたから、弟を邪険に扱う私は母方の親戚から冷遇された。
    特に伯父からは毛嫌いされていた。

    先日、母の法事があった。
    途中で私はトイレに行ったんだけど、戻ってくる途中で、母方の親戚が立ち話をしているのに遭遇した。
    ○○(私の事)は相変わらず我儘で可愛げがない。
    三つ子の魂百までというけど、本当にそうだ。
    自分の我儘で母親を刹しておいて、何であんなに平然としていられるんだ。
    あの子が我儘さえ言わなければ、△△(母)はまだ生きていられたのに。
    □□(弟)だって、あんなに予定外に早く産まれて、病気がちになって本当に可哀想。
    ××さん(父)がなんで○○をあんなに甘やかして増長させるのかが本当に理解できない。

    私に気が付かないまま、こんな感じの話をしていた。
    その言葉を聞いた瞬間、母が亡くなる前の事を鮮明に思い出した。
    あの頃、お腹の大きくなった母は、体調が悪く寝ている事が多かった。
    遊んだり抱っこしてもらったりしたかった私は、それがものすごく不満だった。

    ある日、どうしても外で遊びたいと駄々をこねて、近所の公園まで母を連れ出した。
    ちょっと休ませてと言う母を許さず、滑り台で遊ぶ、ブランコで遊ぶと連れ回した。
    そして、ブランコで遊んだ時、いつもより揺らす回数が少なかった事に腹を立てて、私はブランコを漕いで思いっきり母にぶつけてしまった。

    母はお腹を押さえてうずくまって、そのまま動けなくなった。
    その時ようやく、とんでもない事をしたと理解したけど、どうしようもなかった。
    私の泣き声を聞きつけた近所の人が気が付いて、母は救急車で運ばれたけど、助からなかった。

    母が居なくなって不安定になった私を落ち着けようと、父は、母が亡くなったのは私のせいじゃないと繰り返した。
    私のせいじゃないって思い込もうとして、それでこの時まで忘れていたんだと思う。
    全部思い出して、急に気持ち悪くなって、トイレに引き返して嘔吐した。

    今まで、母方の親戚からどうして私だけ嫌われてるのかものすごく不満だったけど、そんな経緯があったら当然だと思った。
    自分のしたことをすっかり忘れて、自分のしでかした事で産まれた時にタヒにかけた弟を邪険にしてた。
    そんな姿を見ていたら、子供のした事だからなんて絶対に言えない。
    特に伯父からしたら、自分の妹を刹した人間が反省もせず好き勝手に生きてるって思えて、憎かったんだろう。

    法事が終わってから何日か経つけど、心の中がずっと修羅場。
    今更思い出しましたごめんなさいって言っても、それがどうしたってなるだろうし、ここに吐き出し。
    正直、もうどうしていいか分からない。

    205 :プリンはのみものです。 2018/02/17(土) 22:54:42 ID:m+8pImQa.net
    普通の人はバナナ食べても喉が痒くならないと気づいた時。

    小さい頃からバナナは好きでよく食べてたが、食べると必ず喉が痒くなってた。
    バナナはそういうもんだと思ってたし、みんなも我慢して食べてるんだろうなと思ってた。
    特に疑問にも思わなかったし、誰かに話したこともなかった。

    それが大学にあがる頃、急に「これアレルギーじゃないか?」って考えが浮かんだ。
    んで周りに話を聞いたら、みんなバナナ食べても痒くならないと言われて衝撃だった。
    特に検査はしてないが、私はたぶん口腔アレルギーなんだと思う。

    20年近く生きてきてアレルギーに気づかず普通に食べてきた自分の鈍さも衝撃だった。

    486 :プリンはのみものです。 2016/03/29(火)13:07:40 ID:bba
    私は子供の頃、すごく太っていた。家族全員デブだった。
    食事は毎回苦しくなるまで食べる、常に家にお菓子があって間食し放題、空腹にならなくても満腹じゃ無くなったら何か食べていた。
    週4〜5回は外食で、安いビュッフェやファミレスで大量に注文していた。
    例えばサイ○リアに行くと、スープ+ドリア+ハンバーグ+デザートで1人前。さらにピザを頼んで皆で分けたりしていた。
    家で母が作るときも、パスタや揚げ物ばっかりで野菜はほぼゼロだった。もちろん量はかなり多い。
    父の収入はそこそこ良かったがエンゲル係数が異様に高く、食以外にはお金をかけなかった。
    当然の如く私も姉も妹もデブになった。
    他人の食べ物を奪ったりはしなかったが、かなり食い意地は張っていて小遣いは全てお菓子に費やした。
    そんなサラブレッドデブな私に転機が訪れた。
    小学5年生のある日、近所のYちゃんと登校していたとき
    私「昨日Yちゃん誕生日やったんやー。ケーキとか食べた?」
    Yちゃん「ううん、食べてない。ご飯も普通に野菜炒めやったよ。」
    私「えっ!?誕生日やのに!?」
    自分にとって誕生日=ケーキ&ご馳走の日だったので、かなり衝撃だった。しかも野菜炒めなんて我が家では罰ゲームメニューだった。
    Yちゃん「本当はケーキ買って家で焼き肉する予定やったけど、妹が雑貨屋で買い物するのに時間かかって店閉まってしまってん。」
    さらに衝撃。もし我が家で同じことが起きていたら、収拾がつかない程の姉妹喧嘩になっている。
    Yちゃん「でも妹は私のプレゼント買うのに時間かけてくれたんやし、焼き肉とケーキは今度する約束やからいいねん。」
    三度目の、一番キツイ衝撃だった。
    この瞬間、自分が如何に卑しいみっともない人間かを自覚した。
    食べる事しか考えず、ぶくぶく肥ってニキビもできていて
    服は入れば良いとしか思ってなかったからダサいぶかぶかの物で、髪は母に切って貰っていたからぼさぼさで
    目の前の可愛い服を着た髪の長いYちゃんと比較すると消えたくなった。
    それまでクラスの男子にデブとか豚とかからかわれても開き直っていたけど、急に恥ずかしくなった。
    とにかくこのままじゃ駄目だと思い、母に相談するも取り合ってくれなかった。
    なので保健室の先生に相談すると、適切な食事量や運動について教えてくれた。
    『苦しくなるまで食べない、野菜を食べる、甘いお菓子やジュースばかり買わない、ゲームばかりしない』
    等々、当然の事がそれまで一切頭に無かった。
    それから自分なりに頑張ってみた。
    外食では野菜をしっかり食べて量も減らす、間食はしない、家のご飯は幸い大皿料理ばっかりだったので量の調節が出来た。
    毎日家で縄跳びをしたり、友達とジョギングしたり。
    お小遣いは食べ物じゃなくて美容院で使い、ちゃんとした服も買ってもらった。
    中学生になるとバレー部に入り、中二になる頃には標準体型になった。
    どんどん痩せていく私を心配した両親に、何度か病院に連れていかれた。
    完全な健康体だった。むしろ親が生活習慣病について説教されていた。
    妹が思春期になると、自分も痩せたいと言い出したので全力でサポートした。
    2年かけて標準体型になった妹はビックリするほど可愛くなった。
    姉は相変わらずだったけど、職場の健康診断で色々引っ掛かったらしく去年からダイエットをしている。
    久しぶりに会うと順調そうだ。
    両親は心配だけど、老後の資金は貯めてるし子供達に迷惑はかけないから好きにさせて欲しいそうだ。