10:プリンはのみものです。2012/11/29(木) 17:46:18.85 0

思い出せる限りで一番古い記憶は爺さんの葬式だった。

当時、私は両親と姉の四人で暮らしていて
列車で30分位離れた所に母方の祖母が住んでいた。

祖母の家には祖母の他に半分寝たきりみたいな婆さんが住んでいて
祖母をこき使っていたが祖母は誰にも愚痴一つこぼさずにその婆さんの言うことを聞いていた。

その婆さんは、祖母の所を訪れた私や姉に
ことあるごとに『あんたらの婆さんは、爺さんを私から盗った』と話した。
そんなことを言われても子供に理解できるような話ではないし
子供の感覚ではそもそも知ったことではないので
その婆さんは私たち子供にとっても母にとってもうっとうしい存在だった。

11:プリンはのみものです。2012/11/29(木) 17:59:43.73 0
詳しい事情は私たちどころか母も産まれる前の話なのでよく分からない。

その昔、昭和十年代と推定されるが
日本海側の雪国の農村から集団就職で祖母は街へ出てきた。
そして住み込みである店で働くこととなった。

その店の主人夫婦には子供が一人いたが、幼少の頃に亡くなった。
それから十数年経った頃に田舎から出てきて店で働き始めた祖母は
主人夫婦の亡くした子供と同い年だった。

祖母は亡くなるまで一切語らなかったのでどういう経緯があったのかは分からない。
だが、祖母の産んだ私たちの母の父親は、この店の主人だった。

妻との間に最初にできた子と同い年の女性.に手出すとか
一体どうなんだこの爺さんは。

14:プリンはのみものです。2012/11/29(木) 18:17:47.55 0

祖母の妊娠が発覚したとき、どんなことになってたんだろか。

爺さんは子供ができない嫁を捨てるわけでもなく
そのままなし崩し的に祖母の産んだ母を認知して四人で一緒に暮らしていた。
優柔不断だったんだろか。

祖母は大人しい人だったが、爺さんの嫁は性.格きつい人だったので
爺さんも祖母も何でも言いなり状態になってしまっていたのかもしれん。

そんな家庭で母は育ったわけだが
母の男を見る目のなさから想像するに
家庭内での爺さんの父親としての機能は
あまり高かったとは思えない。

その後、母は父と結婚して、姉と私が産まれた。

16:プリンはのみものです。2012/11/29(木) 18:29:48.55 0
母が選んだ最もまともな男が父だった。
ある種の専門家で、私たちが住む家にも仕事道具がいっぱいあったし
趣味にも通じる仕事だったので、仕事なのか趣味なのか
家でも押し入れを利用した作業スペースで何やらやっていた父を憶えている。

で、爺さんの葬式が終わってしばらく経った頃、姉は小学校に入学し
五歳の私は幼稚園でいじめられたりなんだりで家にいたりいなかったり。

そんなある日、当時の私は夜は母親と一緒に寝ていたのだが
私が夜中に目を覚ますと母がいない、ということが度々起こるようになる。
で、朝に目を覚ますと母はいる。
夜中に目を覚まさなかったときや、目を覚ましてもとにかく眠くてまた寝てしまったときにも
母はいなくなっていたと思うが
母がいない→不安、となったときの私は容赦なく泣き叫んで父や姉を起こした。

17:プリンはのみものです。2012/11/29(木) 18:39:42.28 0

あの時期、父は何を考えていたのだろう。

私が幼稚園でいじめられて登園拒否とかする前、
母はある工場でパートをしていた。

そこで知り合った男が母の浮気相手だった。

私が素直に幼稚園に通っているうちは母は自由な時間が結構取れたと思うのだが
私が登園拒否したりするようになってから
思うように浮気相手に会えなくなったので夜家を抜け出す、ということを始めたのだと思う。

そんなある日、またいつものように夜中に母がいないのに気付いた私は父と姉を起こした。
朝、目が覚めても母はいなかった。

父は、私たち子供に朝食を作って食べさせた後会社に電話を入れ
さらに小学校に電話して姉を休ませて私たちを車に乗せて出掛けた。

18:プリンはのみものです。2012/11/29(木) 18:44:03.48 0

どこに連れてってくれるんだろう、と私たちは呑気に思っていたが
車を運転しながら父は無言だった。

20分ぐらい走った頃だろうか、古びた感じの四階建てぐらいのアパートの前に車を停めた父は
私たちを連れて階段を登り、ある部屋のドアの前に私たちを立たせた。
そしてドアを激しくノックすると、そのまま私たちを置いて走って去ってしまった。
開いたドアから母が出てきた。

22:プリンはのみものです。2012/11/29(木) 18:58:02.07 0

そこからどうなったかよく憶えていない。

父はそれっきり家に帰って来なかったと思う。

その後、姉は祖母の元へ。
私は母と母の浮気相手と一緒に暮らすことになった。
母の浮気相手が祖母と婆さんの所に挨拶に行ったときの記憶があるが
何故か婆さんの方に浮気相手が母との結婚など認めん!などと罵倒されていた。

母の浮気相手は異常な人物だった。
母が不在のときに、姉と私の前で下半*服無状態になって陰*が何故生えるのか説明されたり。
あとは、子供に言い聞かせる、ということができないようで
とにかくいきなりパンチが飛んできた。
何年も後になって、あれは私のあの振る舞いに怒っていたんだ、と分かったりしたが
なにしろいつ何時パンチを食らうか分からなかったので私としてはビクビクして過ごすより他なかった。

23:プリンはのみものです。2012/11/29(木) 19:11:12.96 0

私も小学校に入学と同時に祖母の元へ移動。
週末に姉と、もしくは単独で
母と浮気相手の住む家に行ったり行かなかったりの生活だった。
祖母が大好きだった姉はあまり母の元には行きたがらなかったが
多分浮気相手のことも嫌いだったんだろう。

小学校に入って最初の夏休み、姉と私は父の所に行くことになった。
母と三人で生まれて初めて新幹線に乗り、東京へ行き
東京駅で母は私たちを父に引き渡して帰って行った。

当時父は子持ちの女性.と再婚していたが
その女性.は姉と私にも優しく接してくれた。

父の所に来てから三日ぐらいで姉がホームシックになり送還されたが
私は結局夏休み中ずっと父のところに居た。
8時だヨ!全員集合の公開生放送にも連れてってもらった。

27:プリンはのみものです。2012/11/29(木) 19:22:50.38 0
公開生放送を観る為には午前中から並ばなければならなかった記憶があるが
駄々こねたりして父の再婚相手の女性.を困らせてしまった。
今になっても申し訳かったと思っています。

夏休み終了と共に再び新幹線に乗って祖母の住む家に戻った。
それ以来、父には会っていない。
伝え聞いた話によると、詳細は不明だが父は事故を起こしたり
再婚相手と別れたり病気で倒れたりまた再婚したりして
現在は埼玉県某所で店を開いてて健在。

さて、自宅に戻った私ですが
あるとき、小学校に入学して別居するようになってからついぞなかった
母の浮気相手のパンチを久々に私が食らったときに
母と無言パンチャーは大喧嘩に発展し、そのまんま別れたっぽい。

28:プリンはのみものです。2012/11/29(木) 19:35:27.66 0
おそらく母は幼少の頃から祖母と同居している婆さんにネチネチ言われながら育ったのだろう。
だから婆さんと一緒に住むのはどうしても嫌なようだった。

祖母は義理堅かったのか、黙々と婆さんの世話をしながら生活していたが
浮気相手との生活が破局した母は祖母を説き伏せたのか
婆さんを老人ホームに放り込み、祖父の遺した家も処分して余所へ引っ越すことになった。
祖父家は借地に建っていたし、台所は土間で風呂は外にあるなど
古い作りの家だったので大した価値はなかったと思う。

引っ越しと共に転校し、やっと慣れたかなという頃に
母が遊園地に遊びに行こう、と言い出した。
当日、三人で遊園地に行くと見たことのない男がいた。

間もなく、その男と一緒に暮らし始めることとなった。

引用元:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/live/1354149405/



【後編】へ続く(5/26 8:16公開予定)
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